[160ページ、クロージングセッションのページ開始] [タイトル] 未来のあたりまえを〝いま〞つくり考えるために [リード文開始] 芸術家という立場からさまざまな社会課題に向き合ってきたこやまだとおるさんと、幼い頃から障害のあるこどもたちと触れ合い、のちに教育者を志した石原保志さん。二人は、これからを歩んでいく世代と「生きるための術」を思考し、実践する学びの場の担い手でもある。共生社会とは何か。その実現に向けて文化芸術が発揮できる創造性とは何か。 「ウェルビーイング」のありようを追求し、「だれもが文化でつながる会議」を企画するもりつかささんは、両者へ問いを投げかけた。これらへの応答を導く対話は、わたしたち自身が未来を思い描くことと交差する̶。 (クロージングセッション わたしの居場所│未来のあたりまえを考える) [リード文終了] [登壇者プロフィール開始] 石原保志(読み:いしはら やすし) 筑波技術大学 学長 国内唯一の障害者のための大学である筑波技術大学で35年にわたり教鞭を執り、障害者支援に関する研究を行ってきた。障害学生らと交わるなかで、学生たちが充実した人生を歩んでいくために、自ら環境にはたらきかけるテクニックが必要であることを実感。さらに社会モデルとしての障害の軽減が、ライフキャリア(人生の歩み方)において、すべての人々に共通した課題であるという思いに至る。専門は心身障害学(博士)。 [写真:いしはらやすしの顔写真] 小山田徹(読み:こやまだ とおる) 芸術家、京都市立芸術大学 学長 1987年に京都市立芸術大学美術学部日本画専攻卒業。在学中にパフォーマンスグループ「ダムタイプ」を結成。創設メンバーとして作品を国内外に発信。「共有空間の獲得」をキーワードに、人々が集いかかわる場を生み出し、空間そのものを体験させる独自のアート手法や「共有空間」がもつ新たな可能性を探究。2005年に第2回アサヒビール芸術賞受賞。2010~2024年に京都市立芸術大学美術学部教員。2025年より現職。 [写真:こやまだとおるの顔写真] 森司(読み:もりつかさ) アーツカウンシル東京 事業調整課長 2009年よりNPOと協働する「東京アートポイント計画」をディレクションし、現在は、東京都・区市町村連携事業を所管する。東京2020公認文化オリンピアード事業「東京キャラバン」「TURN(ターン)」を担当。聾者と聴者が遭遇する舞台作品《黙るな 動け 呼吸しろ》の推進役を担う。「クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョー」事業の一環として開催する本会議の企画、統括を務める。女子美術大学特別招聘教授、多摩美術大学非常勤講師。 [写真:もりつかさの顔写真] [登壇者プロフィール終了] [本文開始] [小見出し] 親密な親子関係を生み出すお弁当 [森]  対話をはじめる前に。まずは石原先生に、こやまださんの作品《お父ちゃん弁当》をご覧いただいた感想をお聞きしてもいいですか。 [石原]  まず「どういうご家庭なんだろう?」と思いました。きっとこどもやお母さんにとって、お父さんがとても大切なんだろうなと伝わってきました。しかも、初めてつくったお弁当と最後につくったお弁当のリクエストは「お父ちゃんの顔」。小山田先生のキャラクターが伝わるエピソードで、とても感銘を受けました。 [こやまだ]  お恥ずかしい。朝の家事はわたしの担当で、毎日お弁当をつくらなきゃいけないんですね。そのモチベーションを上げるために、はじまったのが《お父ちゃん弁当》でした。幼稚園に進学する3人兄弟の末っ子のために、真んなかのお姉ちゃんがスケッチを描いて、わたしが弁当で再現する。お弁当の蓋をひらいたときに、弟は「お父ちゃん、すごい!」と喜んでくれるんですね。それを日々の記録としてFacebookに投稿していたら、たまたま学芸員の方々が見ていて、展示になり、美術作品になっちゃった。わたしたち家族にとっては、日々をネガティブなものにしないための取り組みでした。「もしキャラ弁のお題が来たらどうしよう?」と心配したこともありましたが、そんなことはまったくなかったですね。娘は毎朝7時半に起きて、寝ぼけまなこのまま10分足らずでお題を描いてくれるんです。そのお題があまりにもユニークで、一生懸命応じてみたというはじまりでした。  たとえば、ある日のお題は「しまうまのおしり」。なぜ朝一番に、このお題を思いつくのかわかりませんが(笑)、お父ちゃんは頑張ってつくります。栄養バランスも大切なので、いろんな具材も入れています。ただ、この日はさすがに、弟も何がモチーフなのかわからなかったようで。帰ってきて「シマウマのお尻や」と教えたら、「お尻は嫌だ」と言いました(笑)。  こんなふうに、お弁当は家族のコミュニケーションツールとなり、こどもたちとの対話を生んでくれました。弟は、最初から最後まで毎回完食。内容がどうというよりは、楽しかったんでしょうね。次第に幼稚園の先生の間でも噂が広がり、「今日は何?」と覗きに来たこともうれしかったようです。  いまもお弁当は、わたしがつくっています。でも、娘も朝が弱いので、最近は孤独な戦い。ただ、お弁当を一緒につくる経験をともにしてきたからか、もう高校2年生になる思春期の娘とも難なく対話ができ、穏やかな関係でいられるのはよかったなと。 [写真:《お父ちゃん弁当》2017 年 9 月 19 日「しまうまのおしり」] [森]  最初のお弁当は、「何をつくろうか」と台所に立っていたら、娘さんに「つくるなら、顔やろ!」と言われたのがきっかけなんでしたっけ。 [こやまだ]  そう、娘が「たぶん幼稚園児は、顔があった方が喜ぶで」と言うので、「どんな顔?」と聞いたら、お父ちゃんの顔を描いてくれて。それが、はじまりです。登園最後のお弁当でも、「最後は、お父ちゃんの顔やろ!」と言って、描いてくれました。 [森]  当時、僕もこやまださんのFacebookを毎日楽しみに見ていました。親子の関係はもちろん、季節の移ろいや自然との関係など、小さな気づきも投稿されていたことをよく覚えています。 [小見出し] 「教える」ことのおもしろさ [森]  事前の打ち合わせのために、石原先生のもとを訪ねて大学へ伺った際、何気ない様子でふわっと自然に手話を使っていらっしゃったことが印象に残っています。 [石原]  「なぜ手話が自然と出てくるのか」については、幼少期の影響が大きいですね。わたしの父はろう学校の教員で、わたしは3歳までその学校の宿舎で過ごしました。国民みんなが貧しい時代でしたが、なかでも学校の先生はさらに厳しく貧乏でした。  その後、宿舎を出て近所に引っ越してからも、わたしは運動会をはじめ、ろう学校の行事にたびたび参加していて、家庭訪問について行くこともありました。公私混同が甚だしい父だったんですね(笑)。ただ、家庭訪問と言っても公式的なものではなく、ふらっとお宅を訪ねて親御さんとお話ししたり、こどもを交えて勉強したりするものです。そんな環境でしたから、初めての友達は、耳の聞こえないこどもたちでした。  手話と呼んでいいのかわからないのですが、そこでジェスチャーや手話の原型が身についていきました。最初に覚えたのは、からかい言葉のような動きでした。いまの標準手話では使わないと思いますし、どうやって訳していいかもわからないもの。僕が当時使えたのは、そういう簡単なものだけで、あとは身振り手振り。それでも、小学校低学年までは一緒に楽しく遊べました。  暮らしていた家も、学校だか家だかわからない環境でしたね。休日には聞こえないこどもと親御さんがやってきて、勉強したり相談ごとをしたり。中学年になると「うちは普通じゃないんだな」と気づきはじめ、「教員になるのだけはやめよう」と思っていました。が、結果として、教育の世界に入ってしまったという。 [森]  遊ぶなかで自然と身につけられたんですね。さて、少し話題は変わりますが、石原先生は、国内唯一の障害者のための大学である筑波技術大学の学長として、新学科の設立に取り組まれ、国との交渉をはじめ大変な苦労をなさったとお聞きしました。そのモチベーション・原動力は、大義や衝動よりもっと深い部分にあるのではないかと想像します。物心ついたときから、ろうの世界が身近にあったこと、その世界の感覚をもっていたことにもつながっているのかなと思いましたが、いかがでしょうか? [石原]  必ずしも、そうではありません。実は、わたしは高校から水泳をやっていて、その世界で食べていこうと決意して、何年かスイミングスクールの正規職員としてコーチをしたんです。でもそこで、わたしの興味は、水泳そのものではなく、「教えること」なんじゃないかと気づいて。そこから方向転換して、教員採用試験のための勉強をはじめ、小さなろう学校の幼稚部で教えることになりました。  当時の幼稚部は、正直言って修羅場でした。毎日、親御さんたちがこどもを学校に連れてきて、教室の後ろで見学している。わたしはこどもたちとやりとりしながら、かれらが考えていることを言語化しようとするのですが、新米教員で当然うまくできない。  そんなふうに、こどもとのコミュニケーションがうまくいかないとき、正確に言えば、先生であるわたしがこどもの気持ちをうまく言葉にできないとき、親御さんがつかつかと前に出てきて、こどもをひっぱたくこともありました。本当は先生であるわたしをひっぱたきたかったでしょう。でも、それはできないから、自分のこどもを叩いて「そのやり方じゃダメだ」と訴えるんです。  親御さんたちは、こどもが0歳のときからずっと様子を見てきている。上手な先生の指導の仕方も知っているし、経験値としては、わたしよりよほどベテランでした。先ほど森さんから「小さい頃からろうの世界を覗いてきたことが、いまの仕事とつながっているのではないか」と言っていただきましたが、当時のわたしは、そのことと「教える」という行為は別ものだと感じていました。  ただ、年月が経つにつれて、教えることがすごくおもしろくなってきたんです。言葉を教えることで、その言葉を使ってこどもが考える力をどんどん広げて、深めていく。目の前で成長が見える。それがおもしろくなってきたちょうどそのとき、恩師から「新しい大学ができるから、教えに来ないか」と声をかけられました。その誘い方がまた普通じゃなくて、毎日のように職場に電話がかかってくるんです。校内放送で「石原先生、お電話です」と呼ばれて、もう根負けしました(笑)。  普通の大学だったら、そこに自分の居場所があるとは思えなかった。でも、その大学は、聞こえない人や見えない人のための新しい大学だというんです。わたしがこどもに対してやってきたことを、今度は青年期の学生たちに対してもいかしながら、新しい試みができるのではないか。そう感じたことが、大きな決め手になりました。 [小見出し] 「アート」が権威とならない、よい加減 [森]  ありがとうございます。続いてこやまださん、お話しいただいてもよいでしょうか。 [こやまだ]  4月に、京都市立芸術大学の学長兼理事長に着任しました。それまでも、そしていまも、表現者として「共有空間の獲得」をテーマに広く活動しています。あらゆる関係性はどのように紡がれ、どんなシチュエーションで何が起こるのか。そのなかで、共有空間が果たす役割に関心があります。  現代の共有空間の多くは、誰かがあらかじめ用意したものです。たとえば、利用者としてそこにいる限り、「掃除しよう」とは思わない。場や時間に対する愛が芽生えていない以上、能動的な動きは生まれにくいんです。では、自分でも手を入れ たくなる空間との関係は、どうすれば生まれるのか。重要なのは、その場に「獲得感」をもてるかです。セッション2で紹介された「バザールカフェ」は、よい例かもしれません。立ち上げの際、毎日20〜30人のボランティアの方々と建物を手づくりしました。全員が素人です。プロなら数日で終わる作業を、あえて2か月かけてやる。失敗も多いですが、その痕跡が愛着に変わる。作業の途中から、参加者は自然とその場の「スタッフ」になっていきます。そうして「わたしの空間」という感覚が立ち上がっていきました。 [写真:建設中のバザールカフェ]  共有空間をつくる際、まったく新しい場所を開発するよりも、人類の過去の営みを読み直すことが効果的な場合があります。たとえば、屋台。なんとなく入りやすく、隣の人と自然に会話がはじまる。現代では屋外の屋台は認可が難しいですが、「アート」を言い訳にすると許可が出る(笑)。そこで、アートプロジェクトのもとで、せっせと屋台をつくり、人が集まる場所を生み出しました。  屋台は、大きくすると小屋になります。東日本大震災のボランティアに向かう学生の基地となる小屋をつくったときは、事務局とかなり揉めました。違法建築だったんですね。でも「ユニークな授業」として大学のウェブサイトに掲載されると、既成事実が力をもち、作品として扱われるようになる。そこから、大学に小屋が増えていきました。  さまざまな共有空間の獲得を試みましたが、もっとも効果があったのは焚き火でした。焚き火があるだけで人が集まり、自己紹介もなく話し、満足して帰っていく。考えてみると、焚き火は、人類が最古に獲得した共有空間の一つなんですよね。人は毎晩、ともに火を囲んできたはずです。それが、この70年ほどで断ち切られた。何かよくないことが起こりそうですよね。 [写真3枚。1枚目:「ならまちワンダリング」期間中に、奈良市ならまちセンター前の芝生広場に設置された小屋。2枚目:小屋が設置された京都市立芸術大学のキャンパス。3枚目:ロームシアター京都の広場で開催された、ちっちゃい焚き火(薪ストーブ)を囲んで語らう会。]  移転したばかりの京都市立芸術大学のキャンパスには、まだまだ触れがたい空気があります。早く汚したい一方で、管理者側の事情もある。現在も小屋をめぐってせめぎ合いの最中です。焚き火は難しいので、代わりに「犬場」をやっています。ただ、そこに犬がいるだけなんですが。 [森]  こやまださんの犬も参加しているんですか? [こやまだ]  はい。このワンちゃんは、盲導犬のリタイア犬で、これまで人のために生きてきたので、いまは「犬になる訓練」をしています。かねてからわたしのところにいる保護犬が、元盲導犬の先生役をしてくれています。  最初に大学へ連れてきたら、職員にめちゃくちゃ怒られました(笑)。あまりに怒られたので、「犬場」というプロジェクトにしました。人が集まる実験です。もう10回以上続いていて、大人気なんですよ。いろんな動物がいる大学って、悪くないですよね。 楽しみながら工夫して、ねじこんでいます。 [写真:《犬場》の様子] [森]  最初に石原先生のところへ伺ったとき、こやまださんのことを「焚き火している人です」と紹介しましたね(笑)。かなり粗い説明ですが、この「アート」という言葉の使い方のいい加減さには、権威性がない。まるでマジックワードのようです。 [石原]  すごいパワーですよね。わたしは学長に就いて7年目ですが、ここまで個性を出すことはできていません。火を使ったり、犬を連れてきたり。 [こやまだ]  正攻法が苦手なんです。書類を書いて、会議をして、説得するということが難しい。でも変化球を投げてみると、ものごとがおもしろく動くことがあります。 [石原]  本当に変化球です。正式な手順を踏むほど常識を打ち破ることは難しい。事務局は大変だと思いますが、それでも成立しているのは、こやまだ先生のお人柄でしょうね。 [こやまだ]  ただ、変化球といっても、まったく新しいものじゃないところがミソじゃないかと思っているんです。過去を参照しながら投げています。次は、大学のなかに銭湯があってもいいなと。裸の付き合いとか、やりたいですよね。 [森]  一般的に見れば、焚き火は焚き火だし、犬場も犬が大学を歩いて撫でられているだけ。「それをアートと言うのか?」という見方もある。でも、芸術大学の学長は、アートと呼んでいる。そのズレこそが大切で、きちんと捉える必要があると思います。 [小見出し] 分離的な場/溶け込んだ場 [森]  石原先生は正統派ですね(笑)。ここからは、筑波技術大学での活動や新学部についてお話しいただけますか? [石原]  「居場所」について、条件から考えてみました。くつろげる、楽しめる、自分のままでいられる、心が落ち着く対象がある、など。居場所とは、そうした要素の集合体だと思います。風景や風情そのものが、人の気持ちをやさしくしてくれることもある。  具体的な場として、「デフスペース」や「デフコミュニティ」があります。聴覚障害のある方々が過ごしやすい、視覚的に情報を得やすく、手話で自然にコミュニケーションができる空間や集団のことですね。この「コミュニティ」は、居場所を考える上でも大事なキーワードです。  共生社会というと、一般社会のなかに多様な人が溶け込むイメージが強いですが、それと同時に、特性をもつ人たちだけが集まるコミュニティも、重要な居場所だと考えています。本学の「共生社会創成学部」は、デフコミュニティを基盤に、学生が社会で力を発揮できる環境を育てたいという想いから生まれました。  40年近く教育の現場にいて感じるのは、大学にいる間は元気だった学生が、卒業後にさまざまな壁にぶつかるということです。特にコミュニケーションの壁は大きい。職場の雑談のなかには、仕事に必要な情報が自然と含まれていますが、聞こえない人にはそれが届かない。自分に向けて説明されていることすら、受け取りにくいこともあります。その壁を下げるために必要なのが、自分の特性を知り、周囲へ説明・主張する「セルフアドボカシー」です。「ろう」「難聴」といっても必要なニーズは、一人ひとり違います。筆談、UDトーク、手話通訳など、自分に合った方法を説明し、周囲を巻き込みながら環境をつくっていく。その力が、共生社会につながると考えています。  インクルーシブ教育の難しさは、困りごとを言い出せないことにあります。特別視されたくないから、見えるふり、聞こえるふりをする。高校まではなんとかなるけれど、大学では急につまずく。情報保障を受けて初めて、「これほどの情報が飛び交っていたのか」と気づく学生も少なくありません。だからこそ、自分に何が必要か知り、発信する力が重要になります。  新設した学部の学生たちからは、これまでとは違うマインドを感じます。あるとき、聴覚障害のある学生が、視覚障害のある学生に「目の見えない人って鼻がいいの?」と素直に尋ねたことがありました。普通なら躊躇する問いを、仲間だからこそ自然に投げかけられる。そのやりとりを見て、この学部をつくってよかったと感じました。  居場所について、もう一つ印象的な出来事がありました。アメリカにあるデフコミュニティの大学、ギャローデット大学を学生と訪れた際、現地の学生と日本の学生が、異なる手話にもかかわらず自然に通じ合っていたんです。一方で、わたし自身は疎外感を覚えました。視線や表情など、デフに共通する視覚的な情報で通じ合っていたのだと思います。その場では、わたしの方がマイノリティでした。  こうした特性をもつ人たちのコミュニティを、本学の教員は「分離的な場」と呼んでいます。「独立したコミュニティ」という意味ですね。わたしが考える居場所とは、一人のなかに複数の居場所がある状態。どれか一つに回収されるものではありません。 [こやまだ]  石原先生の言う「分離的な場」と「社会に溶け込んだ場」の両方が必要という考えは、わたしの焚き火とも重なります。わたしは「ちっさい焚き火」を大事にしています。6〜7人で囲む小さい焚き火を、あちこちにつくる。一つの場に疲れたら、上手に抜けてほかの焚き火に移れる。持ち込まれたものは、自然とシェアされる。小さい焚き火だからこそ、そうした関係性が生まれるんですよね。  大きな焚き火は高揚感がある一方で、集団幻想を生みやすい。使い方を間違えると、危うさもあります。組織や場のつくり方にしても、一つの場所がすべての機能を担うという発想自体が幻想です。実現できるはずがないのに、行政はしばしばそれをめざしてしまう。石原先生がお話しされたように、複数のコミュニティに属し、それぞれが連絡を取り合う関係性が重要なのだと思います。さらに、大きな集団では、多くの人が最後まで「お客さん」「消費者」のままになりがちです。それよりも、小さな場で、スペシャリストではなくても能動的にかかわれるほうがいい。 [石原]  行政は制度を整えますが、法令を守るだけで、DE&I(ダイバーシティ=多様性、エクイティ=公平性、インクルージョン=包摂性)が実現するわけではありません。共生社会は社会全体でつくるものですが、同時に、障害のある人自身が中心になってかたちづくるコミュニティも、等しく尊重されるべきだと考えています。  障害に関する意識啓発の場面で、よく耳にする会話があります。「ご近所の〇〇さんのお子さんは耳が不自由で、ご家族も大変でしょうね」というものです。一見すると理解や同情があるように聞こえますが、そうではない。近所にいるあなた自身も、すでにその社会の当事者なのだ、という視点が欠けているわけです。でも、この意識をもつことは、なかなか難しい。こどもの頃に、聞こえない人や見えない人、身体や発語に困難を抱える人と、日常的に接する機会があるかどうかで、大人になってからの感覚は大きく変わります。一般の学校に障害のあるこどもが通うことは、当事者にとって良い面と難しい面の両方がありますが、周囲の人にとっては、どのようなケアや配慮が必要なのかを、自然と学ぶ機会にもなる。そうした経験は、社会に出てからともに働き、コミュニティをつくる際に、確実にいきています。  そしてマジョリティと向き合うときには、セルフアドボカシーの力が不可欠です。わたし自身、ギャローデット大学で少数派の立場に置かれた経験が、大きな気づきになりました。共生社会創成学部の発足は、こうした発想が結びついた結果でもあります。 [小見出し] 未来のあたりまえをつくる人を育てる [森]  20数年前、東京藝術大学で先端芸術表現科や音楽環境創造科など、従来の枠におさまらない表現領域での教育がはじまり、その卒業生たちが、いま新たな活動の主な担い手になっています。石原先生がつくられた学部からも、10年、15年後に、静かに社会を変えていく人材が育っていくのだろうと、大きな期待を感じています。 [こやまだ]  言い方は難しいのですが、いま僕は「うれしい敗北感」を感じています。それは、先に行われたセッション5「世界と対話するための身体」をお聞きしながら体感したことでもあるのですが、自分の知らない世界に出会って打ちのめされる。でも、それがうれしい。これから何を学ばなければならないのか、何に向き合うべきなのかを気づかされるような感覚です。  一方で、芸術大学は、いったい何をしている教育機関なのか̶と常に問われてもいる。産業界や行政からは、すぐに効果が出る成果やエビデンス、数値目標を求められます。年々、成果主義の圧力が強まっているように感じています。 [石原]  本当によくわかります。思わず「この国はこれでいいのか!」と憤ってしまう。 [こやまだ]  ただ、わたしたちが肝に銘じているのは、アートとは「未来のあたりまえ」を〝いま〞つくる営みだということです。芸術大学は、それをはじめてしまった人たちの集まりです。すぐに評価されることが前提ではありません。アートは、誰もまだ課題だとすら気づかないところから生まれるものなので。一方で、デザインは比較的、時間軸が短い。近い将来の課題解決が求められ、経済とも強く結びつく。すると、世のなかは勘違いして、「アートが社会を変える」なんてフレーズを使って、早い結果を求めてくる。でも、わたしたちがいま享受している価値観、たとえば音楽や料理、文化といったものを誰がつくったのかは、ほとんどわからない。詠み人知らずです。価値観が定着するためには、途方もない時間がかかる。  大学の4年間で何者かになるわけではない。卒業後、60年、80年と生き抜くなかで、何かを獲得していくんですね。もしかしたら、評価は死んだあとかもしれない。わたしたちの役割は、溺れないための技術や泳ぎ続ける体力を育てることだと思っています。 [石原]  社会に出て活動を続けるには、身体的にも精神的にも体力が必要ですから 。 [こやまだ]  来たるべき試練とうまく付き合う方法、上手にネガティブからポジティブに変換する方法を発明するのが、表現やサイエンスの役割なんじゃないかと考えています。新しい評価軸を発明し、提示しなければ、わたしたちの首は締められていく。学生たちは急かされ、泳ぎ方もわからないまま、ポートフォリオを持って就職活動に向かう。 そんな社会に誰がしたんだ、と本当に思います。美大や芸大、そして石原先生の大学は、ある意味で社会に問いを投げ続ける「最後の砦」なのかもしれません。 [石原]  うわぁ、ここで初めてものすごく共感できました。こやまだ先生は、やはりお弁当をつくるだけの人じゃなかった(笑)。  成果主義があまりに強すぎるんですよね。経済に直結する分野ばかりが優先され、自由な発想や想像力を育てる土壌が失われつつある。それでも、学生にはアート的な思考で、自分のアクティビティを高めてほしい。アートとは何か、わたしにも明確にはわかりません。でも、いまこそ創造性を解放するような自由な空気が大切だし、つくっていかなければいけない。そういう空気が、筑波技術大学にもあると信じています。 [こやまだ]  学長就任時、アートについての二つの考えを示しました。一つは、アートは「未来のあたりまえをつくる」営みであること。もう一つは、アートが「わからなさと友達になるための技術」だということです。理解しきろうとしない。わからないまま、ともに生きる。そういう感覚が、芸術の世界には重要です。わたしたちのスローガンは、「わからなさと友達になる大学」です。 [森]  よく知るアーティストが、しばしば「モヤモヤ」という言葉を使います。自分でうまく言葉にできない感覚を、ひとまとめにそう呼んでいるのかもしれません。でも、そのモヤモヤを抱え切るには、相当な胆力が必要です。多くの人は、すぐに答えを求めてしまう。しかも、モヤモヤに正解があるわけではないんですよね。 [石原]  答えは一つではないし、世のなかには、そもそも答えがあるもの自体がきわめて少ない。付き合い続けるしかない、という点に強く共感します。 [森]  本日の議論から、居場所とは「自らつくり続けるもの」だというメッセージを受け取りました。最後に、これから社会に出ていく学生たちへの想いを聞かせてください。 [石原]  「幸福になってほしい」。それに尽きますね。幸福のかたちは人それぞれですが、何かを成し遂げたとき、誰かや何かの役に立っていると感じられるとき、人は幸福を感じる。その経験を大学を通して、育んでいきたいと思っています。 [こやまだ]  わたしたちの立場は、教育者と呼ばれます。でも、教育を「施す」側という意識はまったくない。むしろ「学び方を一緒に考えている」という方が近い感覚です。いまのNPOや行政からはよく「教育普及」という言葉が使われますが、それを言うなら「学習普及」じゃないかと思います。学び合い、世界の捉え方を探り続ける。結果のない世界を、ともに歩みながら悩む̶それが学びの場で行われることだと思っています。だけど、それには、本当に時間がかかることなんです。  いつ、誰が、何を社会にもたらすかは、誰にもわからない。ただ、静かな革命は確かに起きている。じわじわと浸透し、気づかれないまま社会を変えていく。その変化に気づく感性を育てることこそ、わたしたちの役割なのだと思っています。 [森]  ありがとうございます。最後に、オープニングスピーチでアーツカウンシル東京機構長の青柳正規が話した、画家ポール・ゴーギャンの作品について触れさせてください。そのタイトルには「我々はどこから来たのか」「我々はどこへ行くのか」というフレーズがあり、その間には「我々は何者か」という問いが挟まれている、と。そして青柳は、こう続けました。「〝わたし〞と〝居場所〞は相互に規定し、干渉し合う。人は居場所を必要とする存在であり、居場所をつくり出す存在でもある」  今回のセッションは、この言葉を反芻し、あらためて確かめる時間だったと思います。ただ、これは終わらない議論です。それぞれが何かを持ち帰り、モヤモヤを抱えたまま次の行動へとつないでいく。そして、その動きを各々のネットワークにつないでいく。そうした営みを静かに続けていくことこそが、目指すべきクリエイティブであり、居場所をつくることではないか。これを最後の言葉として締めくくりたいと思います。 [クロージングセッションのページ終了] [写真:クロージングセッションの様子] [写真:クロージングセッションの様子。] [187ページ、インサイトのページ開始] [タイトル]わからなさと友達になる 芸術家、京都市立芸術大学 学長 こやまだ とおる  わたしは芸術教育にかかわっている。そしていつも学生たちと芸術の存在意義について考え続けている。社会は芸術にさまざまな期待を寄せている。癒し、にぎわいの創出、コミュニティの再生、経済効果、まちの活性化、環境問題やさまざまな社会課題の解決など。どれも短いスパンで結果が期待されており、国家も大学などの教育の現場に同様の期待(圧力?)をかけている。確かに、芸術のなかにはそれらに応えられるもの(デザインなど)もあるが、実は多くの芸術はもっと長尺の時間のなかにある。いまの価値観や状況 に違和感や疑義をもった人間が、違う思考や未来において当たり前になるであろう価値観を誰にも頼まれずに、いまモゾモゾと創りはじめているのが芸術のほとんどだと思う。だから、その価値観が共有されるまでには時間がかかるのだ。 10年、20年は当たり前で、場合によっては100年かかることもあるだろう。し かし、わたしたちは急がされている。資本主義経済は急ぐ。どんどん価値を更新して拡大再生産を社会に持ち込む。この急がされる社会は、そのシステムに対応、順応する人々以外の存在を置き去りにしていく。スピードについていけない人々。じっくりとした時間 をかけなければ成熟しない森などの自然、こどもの成長も。このはざまで障害という言葉も生まれる。これは置き去りにしていく社会の方が生み出した言葉だ。芸術家の多くは、自然や人間とじっくり向き合い、この現代社会の構造に違和感と異議をもっている(と、 信じている)。その意味において、世のマイノリティと親和性があるのだ。マジョリティとは現状の社会構造に問題を感じない人々だと思う。違和感を感じる人々はマイノリティなのだ。芸術は「未来のあたりまえを創る」行為なのだ。そして、今回のこの企画に参集された方々も同様に「未来のあたりまえを創る」仲間なのだ。 もうひとつ、芸術には重要な特徴がある。それは世界のなかの「わからなさ」と向き合う方法をたっぷりともっているということである。芸術家はいまの社会のわかりやすさだけと向き合うのではなく、未知の世界、価値観と向き合うことの方が多い。いまだ人々が 気がついていない自然の摂理や現象、心の世界、技術などと向き合い、そしてなんとか捕まえたと思った価値観を他者と共有できるものに「翻訳」する。それが表現なのだ。しかし、わかったと思ったらその向こうに新たな未知が見えてくる。「うれしい敗北」を経験 し、謙虚さをもつ。その繰り返しを永遠と続けているのが表現者なのだ。未知とは同化できない。同様に他者とも同化できない。しかし未知(わからなさ)と長く付き合うことはできる。「わからなさと友達になる」というのは、探究の世界の編み出した世界と付き合う方法の技術なのだ。芸術はその方法を、たくさんの種類もっている。そのことが社会に対する芸術の存在意義なのではないかと思う。「友達になる」というのは 非常に曖昧な言葉であり、どうしたらできるというメソッドがあるものでもない、自ら試してみるしかない、能動的で好奇心と謙虚さがベースにないとうまくいかないものなのだ。 人々が社会で豊かに生きていくためには、さまざまな世界と多様な関係を結び、さまざまな時間軸で生きていくことを容認される社会でなければならない。現在の資本主義の流れのなかでの、右肩上がりの成長を過剰に助長する社会構造は、効率的な均質化を生み出 し、適合者だけが享受できる社会システムをつくりがちである。そこには人類の本当の豊かさはないのではなかろうか。わたしたちは存在した瞬間から凸凹なのだ。多様な存在が、多様な環境で生きているのだ。均質化を押しつけないでほしい。そして、この過剰さという足し算の社会に対して「美しい引き算」を提案しなければならないのだ。建物を造らず森を創るとか、待つということを基本にするとか、静けさや穏やかさという引いた価値観を見直すとか、こどもを急がさないとか、無駄を愛するとか、さまざまな「美しい引き算」が社会を豊かにすると思うのだ。芸術はきっとそのことに深く関与できる。「わからなさと友達」になりつつ「美しい引き算」を編み出し、「未来のあたりまえ」をみなと創る。よき未来でありますように。 こやまだ とおる 1987年に京都市立芸術大学美術学部日本画専攻卒業。在学中にパフォーマンスグループ「ダムタイプ」を結成。創設メンバーとして作品を国内外に発信。「共有空間の獲得」をキーワードに、人々が集いかかわる場を生み出し、空間そのものを体験させる独自のアート手法や「共有空間」がもつ新たな可能性を探究。2005年に第2回アサヒビール芸術賞受賞。2010〜2024年に京都市立芸術大学美術学部教員。2025年より現職。[インサイト こやまだとおる 終了] [190ページ インサイトのページ開始] [タイトル]「うれしい敗北感」という希望 東京大学先端科学技術研究センターユーザーリサーチャー(学術専門職員) 牧野麻奈絵 「居場所とわたし」。このテーマを掲げた、だれもが文化でつながるオータムセッション2025は、単なるバリアフリー論を超え、わたしたちが異なる他者と、そして世界とどう向き合うべきかという根源的な問いを投げかけるものだった。 わたしが最も心を揺さぶられたのは、コミュニケーターの和田令子さんがつくり上げてきた「デフハウス(聾者の家)」と、クロージングセッション登壇者の一人で京都市立芸術大学学長であるこやまだとおるさんによって発せられた「うれしい敗北感」という言葉だ。 この言葉は、和田さんらのセッションを見たこやまださんの感想として語られた。そしてそれは、わたしのなかに、ダークセン・バウマン博士とジョセフ・マレー博士が提唱した「デフゲイン(Deaf Gain=聾者の利得)」、そしてある種の皮肉を込めた「聴者の損 失(Hearing Loss)」という概念を鮮烈に想起させた。 ろうコミュニティでは、聴こえる人たちのことを「聴者(Hearing)」と呼ぶ。聾者と出会ったことがない人は、まさか自分が「聴者」という特定のラベルで呼ばれる存在だとは想像もしないだろう。一般的に「Hearing Loss」といえば「聴覚障害(聴力の損失)」 を指す。しかし、自身も聴者であるバウマンによれば、デフゲインの理論的枠組みでのこの言葉は「聴者が聾者特有の視覚的・感覚的な豊かさにアクセスできないことによる損失」を意味する。いわば「聴者の敗北」である。 和田さんのデフハウスは、玄関のカーブ、視線が行き届く吹き抜け、家族の所在を感じる光など、まさにデフゲインのかけらが積み重なった集大成であった。同じ聾者当事者であるわたしでさえ、その創造力にはただただ圧倒されるほかなかった。和田さんの類稀なる感性と叡智の集合体であるその家は、写真や動画越しであっても、いかにデフスペースとして機能し、居心地がよいかが想像できてしまうのだ。 聴者である芸術家のこやまださんが、ろう文化の深淵に触れ、自分たちの尺度では測れない豊かさがあることを悟ったときに生まれたのが「うれしい敗北感」だったのだろう。また、クロージングセッションで語られた「わからなさと友達になること」というこやまださんのメッセージも、この文脈で響いてくる。資本主義に支配された現代社会は、成果や効率、わかりやすさを性急に求める。しかし、本来世界は「ノイズ」に満ちており、わからないことだらけだ。異なる他者の世界に出会い、その「敗北」を「うれしい」と感じられる感性こそが、わからなさと手を取り合う第一歩なのだと感じた。 さらに印象的だったのは「焚き火」のメタファーだ。大きな一つの焚き火(社会全体)だけでは、わたしたちは疲弊してしまう。時には、自分と同じ属性や言語をもつ人々と囲む「小さな焚き火(独立したコミュニティ)」が必要だ。そこは、社会的な緊張から 解放され、自分自身を取り戻すための安全地帯となる。デフハウスは、まさにその究極のかたちだ。 インクルーシブな社会とは、すべてを強引に混ぜ合わせることではない。「社会に溶け込んだ場所」と「分離的な場所」を行き来できる自由こそが、真の居場所をつくるのではないだろうか。  「未来のあたりまえを創る」。こやまださんがアートに臨む考え方として示したこの言葉を胸に、会場を後にした。わたしはこれまで、社会に対して居場所を探す側の人間だったかもしれない。しかし、今回のオータムセッションに参加して、デフゲインを誇り、新たな 価値の提供を通じて居場所をつくり出す側の人間でありたいと強く思う。あの会場で受け取った「うれしい敗北感」という希望を、わたし自身が属するさまざまな焚き火、そしてわからなさの森で広げていきたい。 まきの まなえ 生まれつきの聾者で、家族全員がろう・難聴者のデフファミリーで育つ。第一言語は手話。米国留学にて聾者学とアメリカ手話を学び、ろう教育資格を取得した。現在、日本手話・日本語・アメリカ手話・英語の4言語を用い、東京大学先端科学技術研究センター熊谷研究室にて、ろう・難聴者の研究活動におけるアクセス保障をテーマに研究するユーザーリサーチャーかつ博士後期課程学生である。 [インサイト 牧野麻奈絵 終了]