[209ページ、章扉] セミナー:「居場所」を育むための講義 [210ページ、セミナー1のページ開始] [タイトル] アクセシブルなウェブデザインとは何か 情報と出会う道筋を思い描く [リード文開始] 情報発信者・ユーザー・デバイスが急速に多様化する現在、障害の有無にかかわらず、誰にとっても利用しやすいアクセシブルなウェブデザインの重要性が高まっている。ともにインターネット黎明期からウェブサイト制作に携わるいしきまさひでさん、はぎわらしゅんやさんの対話から、日々の実践に落とし込めるアクセシビリティの視点を探った。 [リード文終了] [登壇者プロフィール開始] 伊敷政英(読み:いしき まさひで) アクセシビリティコンサルタント 2003年頃よりウェブアクセシビリティ分野での活動を開始し、診断やガイドライン作成支援、セミナー講師、執筆など多数従事。 2018年より障害者専門クラウドソーシングサービス「サニーバンク」アドバイザーも 務めている。 [写真:いしきまさひでの顔写真] 萩原俊矢(読み:はぎわら しゅんや) ウェブディレクター、デザイナー、プログラマー セミトランスペアレント・デザインを経て現在はスタジオ・オータム代表。文化芸術分野を中心にウェブサイト制作、アクセシビリティ向上、デジタルアーカイブ構築を担う。 第16回文化庁メディア芸術祭新人賞などを受賞。 [写真:はぎわらしゅんやの顔写真] [登壇者プロフィール終了] [小見出し] 時代の流れとともに多様化したウェブサイトのありよう  先天性の視覚障害による弱視から、2020年頃に全盲となった伊敷さん。ウェブにかかわりはじめたきっかけは、盲学校時代の友人たちによる音楽活動だった。かれらのメジャーデビューが決まり、視覚障害のあるメンバーやファンにも正確に情報が伝わる、そして、自分たち自身で管理できるウェブサイトが必要になったという。  初めてMacを購入したのは、1997年、大学2年生の頃。通常の画面表示では、サイズや照度の影響で文字を読むことができなかったため、文字拡大や色反転ができるフリーソフト「クロースビュー」を使用していた。伊敷さんは「当時はウェブサイトなんてつくったこともありませんでしたから、HTMLタグ辞典を参照しながら、コードを見よう見まねで打って。うまく反映されると、そのたびに『できた!』と感動したことを覚えています」と振り返る。  萩原さんも、工業高校時代に抱いたメディアアートへの関心を背景に、同じく90年代からネットアートやウェブサイト制作をはじめた。当時は個人がDIYでホームページをつくっていたインターネット黎明期。しかし現在は、社会の多様化に合わせ、さまざまな人と協業しながらウェブサイトを制作する時代へ変化していると語った。 「デザイナーにプログラマー、編集者やライター、クライアント。伊敷さんのようなアクセシビリティの専門家もそうですし、さらにはユーザー自身も、チームの一員としてウェブサイト制作にかかわっている。同時に、ユーザー層や利用環境も多様化してきているので、いま、ウェブデザインにはより柔軟性が求められていると思います」 [小見出し] ユーザーの特性によって異なるウェブサイトの体験 [写真:登壇者2人が話している様子。]  多様化するウェブ利用環境の一例として、伊敷さんは自身が普段から使用している、音声でウェブサイトの情報を読み上げるスクリーンリーダーを実演した。キーボードの矢印キーを下方向に押すと、選択箇所が1行ずつ下がり、音声はサイト内の文章を読み上げる。その速度は日常会話の2倍以上だ。音声はまるで早送りしているかのようで、認識が追いつかないほどのスピードで流れていく。  しかしそれでも、ウェブサイトを一から読み上げていくには、かなりの時間を要する。そこで紹介されたのが、見出しに読み上げ位置を移動させるジャンプ機能だ。効率的な閲覧をサポートするもので、ボタンや画像、表などにも適用できるという。ただ、この機能が利便よく使われるためには、〝スクリーンリーダーが明確に情報を認識できる〞ウェブサイトである必要がある。「これは大見出しだよ、その下は箇条書きだよ、表だよと、サイトの構造をHTMLとしてきちんとマークアップすることが大切なんです」と伊敷さんは言う。それは、コンピュータのプログラムやシステムが解読しやすい(=マシンリーダブル)なウェブサイトの構築が、ユーザーのアクセシビリティに寄与するということでもある。    これに対し、萩原さんは「目で見るのと音で聞くのとでは、ウェブサイトの体験がだいぶ異なる。閲覧のしやすさにもポイントがありますよね」と応じ、表の認識の違いを挙げた。  仮に、ウェブサイトに家電製品のスペック表が表示されているとする。このとき、共通項のセルが結合されていることは、目で見る人にとって視認しやすい情報整理かもしれない。しかし、音で聞く人にとっては、どの項目にひもづいた情報かがわかりにくくなることがある。だからこそ、認知特性にかかわらずアクセスしやすいコーディングをめざすことが必要なのだ。  そして、これまで伊敷さんと協働を重ねてきた萩原さんは、初めて伊敷さんのスクリーンリーダーを聞いたときの経験を振り返り、このように語った。「自分がつくってきたウェブサイトが、いかに視覚で情報を捉えるユーザーのみを対象とした一面的なものだったかを実感しました。メディアと人がどのようにかかわり合い、変化していくのかということにずっと興味をもってきたので、『メディアって多様なんだ』と、すごく驚いたんです」 [小見出し] アクセシビリティ向上は「特別対応」ではない  萩原さんは、続けてこう投げかけた。「いまとなってはソーシャルメディアが浸透し、 ウェブユーザーの利用環境もさらに変化しています。それでも、アクセシビリティ=障害のある人のためのもの、というマインドが、世の中にはまだどこかあるんじゃないかなとも思うんです」  すると伊敷さんは、「僕の周りでは、もうそういう感覚は、だいぶなくなってきているように感じますよ」と応答。そして、アクセシビリティの向上が、障害の有無、対象や使い方が特定されたユーザビリティの概念を超え、すべてのユーザーにとっての使いやすさを更新していく可能性を示唆した。「たとえば、通勤中に動画学習をしようと思っていたのに、イヤホンを忘れてしまった。そうした際、耳の聞こえる人にとっても、字幕が補助になるかもしれない。また、眼鏡が壊れてしまい、普段より視力が落ちた状態でウェブサイトを見るといったときに、スクリーンリーダーを活用できるかもしれないですよね」  萩原さんも、「いまはニーズやデバイスも多様。想定外の使い方をするユーザー(=エクストリームユーザー)の裾野は、これからも広がり続けると思います」と同意を示した。 [小見出し] 身近に実践できる三つのポイント  では、ウェブのアクセシビリティ向上を図るために、わたしたちはどのような行動が取れるだろうか。伊敷さんと萩原さんは、実践のための三つのポイントを、具体例を交えながら紹介した。  まず一つ目は、「バリアフリー情報を一か所にまとめること」だ。ウェブサイト内の複数のページに、バリアフリー設備やアクセシビリティのサービスに関する情報、資料が点在していると、ユーザーは知りたい内容にたどり着きにくい。情報を集約することで、アクセスが円滑になる。 東京国立近代美術館 幅広い来館者層を見据えたアクセシビリティの取り組みをトップページに一覧化。 サービス内容や館内図がまとめて紹介されている。 https://www.momat.go.jp/  二つ目は、「言葉による道案内をつくること」。視覚障害のある人にとって、地図や 「徒歩何分[諒成1.1]」という時間の目安のみでは、目的地に行き着くための情報が少ない。経路を文章で説明し、途中にある店や特徴的な匂い、点字ブロックの有無といった視覚以外の手がかりを具体的に盛り込むことが、外出や移動の不安を払拭する手立てになる。 ことばの道案内「ことナビ」 主に視覚障害のある人や視力の低下した高齢者に向け、言葉による道案内や駅構内の情報提供などを行う。 https://www.kotonavi.jp/ 江戸東京たてもの園 ウェブサイトで日本手話による施設紹介動画(音声ガイド・日本語字幕付き)を公開している。 https://www.tatemonoen.jp/  三つ目は、「アクセシビリティ関連イベントに参加し、仲間と出会うこと」だ。伊敷さんは、クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョーが主催する「だれもが文化でつながる会議」をはじめ、「アリートーキョーミートアップ」や視覚障害者向け総合イベント「サイトワールド」など、初心者でも気軽に参加できるイベントを紹介。「知識がなくても参加できる場はたくさんあります。セミナーやワークショップを通じて、多様な人がどのように情報を得ているか知るきっかけにしてほしい」と語った。 だれもが文化でつながる会議 東京都とアーツカウンシル東京が主催。文化芸術による共生社会の実現に向け、国内外から多分野のアクセシビリティ実践者が集い議論と交流を図る。 https://creativewell.rekibun.or.jp/creativewell-conference/ アリートーキョーミートアップ 「アクセシビリティ」をテーマに、マンスリーでイベントを開催。リアルタイム字幕・機械翻訳による字幕も提供。 https://a11ytyo.connpass.com/ [小見出し] ウェブで情報を発信することが、 アクセシビリティ向上への第一歩 最後に、「アクセシブルなウェブデザインとは何か」というテーマに立ち返り、伊敷さんと萩原さんは、〝必要なときに、必要な情報を取り出せること〞が本質だと提示した。  その上で、自社でデジタルアーカイブにも力を入れる萩原さんは、「現在のユーザーが情報にアクセスできることも大切ですが、5年後、10年後にもその情報を必要とする誰かがいるかもしれない。そのときのために、未来のユーザーに向けてアーカイブを残していくことも、アクセシビリティ向上への取り組みの一つだと捉えています」と語った。  そして、この言葉に続け、伊敷さんは参加者の背中を押すようにこう述べた。「もちろんアクセシブルなコンテンツが増えるのはありがたいですが、一方で、アクセシブルではないから掲載を控えるといった状況は避けたいと思っています。ウェブそのものが本来アクセシブルなメディアなので、まずは、求める人がアクセスできるよう〝ウェブ上に情報を置く〞ことを大切にしてほしいですね」。HTMLのマークアップが適切でなくても、代替テキスト(画像や図の内容を説明する文章で、音声の読み上げに対応する)が不十分だったとしても、模索することから改善を図ることはできる。画像認識をサポートするAI支援アプリなどの活用も、アイデアとして提案された。 「アクセシビリティの取り組みに終わりはありません。毎日少しずつ、積み重ねていきましょう」。二人はそう語り、笑顔で場を締めくくった。 [セミナー1のページ終了] [217ページ、セミナー2のページ開始] [タイトル] バリアフリー活弁士による鑑賞体験 視覚の外側にある鑑賞の可能性 [リード文開始] 情報保障としての音声ガイドにとどまらず、多様な表現技術を取り入れた「バリアフリー活弁」。20年以上にわたり活動を続ける檀鼓太郎さんによる実演と、ブラインド・コミュニケーターの石井健介さん、全盲の俳優の関場理生さんを交えたトークを行った。実演と対話を通して、見える、見えないを超えた「鑑賞」という行為のあり方、その可能性を探る。[リード文終了] [登壇者プロフィール開始] 檀鼓太郎(読み:だん こたろう) 俳優、演出、ナレーター、バリアフリー活弁士 舞台俳優として全国を巡演するほか、クラシック音楽劇の語り・演出を担当。2003年 より視覚障害者向けに映画の実況解説を行うバリアフリー活弁士としても活動中。 [写真:だんこたろうの顔写真] 石井健介(いしい けんすけ) ブラインド・コミュニケーター 2016年、ほぼすべての視力を失うも社会復帰。見える世界と見えない世界をポップ につなぐブラインド・コミュニケーターとして、ワークショップ・講演活動を行う。 [写真:いしいけんすけの顔写真] 関場理生(せきば りお) 俳優、ナレーター 2歳で失明し全盲となり、自ら舞台に立つほか、視覚障害者向けの観劇サポートにも携わる。「ePARA Voice」や「みみよみ」に所属し、ナレーターとしても活動中。 [写真:せきばりおの顔写真] [登壇者プロフィール終了] [小見出し] 音声ガイドと映画業界のいま  障害の有無にかかわらず、誰もが必要な情報を受け取れる状態を目指す「情報保障」。美術館や博物館、映画やドラマなどの映像作品においては、視覚に障害のある人が芸術文化を十分に享受できるよう、音声ガイドの提供が進められてきた。  なかでも映画における音声ガイドでは、場面の説明や登場人物の動き、表情、しぐさといった視覚情報が、セリフの合間にナレーションとして挿入される。また洋画の場合には字幕によるセリフ文も読み上げられている。  しかし、ブラインド・コミュニケーターの石井さんは、映画業界における現状を次のように語る。「一般社団法人 Japanese Film Projectが実施した〝日本映画業界におけるユニバーサル上映実態調査〞によると、国内でバリアフリー上映に対応した洋画は、2020年には公開本数511本のうちわずか2本!2023年でも556本のうち8本にとどまっています。だからアカデミー賞受賞のニュースを聞いても、どうせ僕たちは観られないでしょって、取り残されちゃったような気持ちになるんです」  洋画では、制作側に承認を取る際のハードルの高さなどから、音声ガイドが普及しにくいという構造的な課題がある。こうした状況のなか、2016年に病気によって突然視力を失った石井さんは、当初、音声ガイドに違和感を覚えていたという。 「目が見えていた頃は映画館によく通っていたし、正直に言えば、音声ガイドは鑑賞を邪魔するものとも思っていました。でも、優れたディスクライバーやナレーターによる音声ガイドに出会い、それ自体が作品として素晴らしいと感じるように。それからは、音声 ガイド付きで観る機会も増えました」  石井さんは、檀さんが行う「バリアフリー活弁」について、いい意味で「音声ガイドのスタンダードからはみ出している」と表現する。情報保障として求められてきた枠組みを踏まえながらも、それを更新する試みとしての「バリアフリー活弁」とは、一体どのようなものなのだろうか。 [小見出し] ライブで行う音声ガイド「バリアフリー活弁」 [写真:登壇者3人が話している様子。]  バリアフリー活弁士として、映画やプロレスなどの場面解説から、忘年会などのパーティーに至るまで、台本を用いない実況型音声ガイドを手がけてきた檀さん。その活動の原点には、一人の視覚障害者の声があったという。  きっかけは、映画『ロード・オブ・ザ・リング』。原作の大ファンから、吹き替えでかかわっていたバリアフリー映画鑑賞推進団体「シティ・ライツ」に、「どうしても〝観たい〞」という相談が届いたのだ。  「相談を受けた方から『戦闘シーンも多く、ファンタジー作品をどうガイドすればいいかわからない。檀さん、どうしよう』と。それならスポーツ中継みたいに実況したらいいんじゃないか、と思ったんです。実際に〝観たい〞と言ってくれた方をモニターにして、僕が即興でしゃべったものを元にして台本をつくることになりました」  檀さんの語りを聴きながら映画を鑑賞したその人は、上映後、涙を流していたという。「『檀さん、練習で泣かしちゃいましたよ。もう自分でやってください』と言われて。そこから急遽、ライブでデビューすることになっちゃいました」と、檀さんは笑う。  より正確な音声ガイドにするため、1作品につき3度は劇場に足を運ぶという檀さん。1度目は前方の席で映画に没入して、2度目は後方の席で客観的に見る。鑑賞後にわからない言葉を徹底的に調べたら、もう1度、前方の席で見る。たった一言の音声ガイドを考えるために、映画に登場した場所を、Googleストリートビューで探すこともあるという。その徹底したリサーチも、バリアフリー活弁を支える重要な要素だ。  登壇者の一人である全盲の俳優・関場さんは、檀さんのバリアフリー活弁をきっかけに、音声ガイドに親しむようになったと語る。 「こどもの頃から、音声ガイドなしで映画を観ることが当たり前だったので、檀さんのようにライブで付けてもらう機会がなければ、音声ガイドを聴くこと自体なかったと思います。檀さんの実況は、ライブ感もありつつ、土地の名前や具体的な知識も盛り込まれている。信頼感があるんですよね」  こうした実践の延長線上で、洋画の音声ガイドがなかなか普及しない現状を受けて檀さんが考案したのが、セリフとナレーションを一人で話し分ける「ハイブリッド音声ガイド」だった。 [小見出し] 音声ガイドに耳をすませる [写真:登壇者3人が話している様子。]  当日は、通常の音声ガイドと、檀さんがライブで行う「ハイブリッド音声ガイド」の両方を体験する時間が設けられた。  最初に紹介されたのは、矢野ほなみ監督によるアニメーション作品『骨嚙み』。 TBSアナウンサーの日比麻音子さんが檀さんからの声がけで、音声ガイドに初めて取り組んだ作品だ。1度目は音声のみ、2度目は音声ガイド付き・映像なし、3度目は音声ガイド付き・映像ありという3段階で、約1分間の映像が上映された。回数を重ねるにつれ、最初は捉えきれなかった像が、少しずつ立ち上がってくる。 「どんな音が聞こえましたか?」「どんな画を思い浮かべましたか?」というブラインド・コミュニケーターの石井さんの問いかけに促され、参加者は「音」から提供される情報にあらためて意識を向け、さらに耳をすませる。  関場さんは、この体験を次のように振り返る。 「もちろん、音声ガイドなしで音だけ聴いても気づくことはあります。 でも、ガイドが入ることで『あ、これはこの音だったんだ』と結びつく。 その瞬間、音がより鮮明に聞こえてくるんです。たとえば〝覗き込む姉妹〞と ガイドが入ったとき、そう言えば、手を叩く音が二つあったな、と気づいたりして」  参加者とともに体験を共有しながら、音声ガイドがもたらす「聴くこと」の深まりが、静かに浮かび上がっていった。 [小見出し] 檀さんオリジナル 「ハイブリッド音声ガイド」の実演  続いて、今関あきよし監督の映画『カリーナの林檎〜チェルノブイリの森〜』を題材に、数分間が抜粋上映され、ハイブリッド音声ガイドの実演が行われた。チェルノブイリ原子力発電所のあるウクライナの隣国ベラルーシの村に暮らす八歳の少女・カリーナとその祖母、荷馬車に乗った男が登場する。  セリフの間合いや呼吸を読みながら、情景描写が小気味いいリズムで差し込まれていく。映像が次々と言葉になる、そんななめらかな疾走感は、ライブ音声ガイドならではだ。  さらに「ハイブリッド音声ガイド」として、檀さんは人物ごとに次々と声色を変えながら、ボイスオーバーでセリフを話し分けていく。俳優としても活動する檀さんならではの豊かな演じ分けは、演劇や朗読劇にも通じる。高音と低音を自在に行き来する声の使い分けには、若い頃アカペラの合唱団に所属していた経験も生かされているという。  関場さんは、その印象を次のように語る。 「俳優さんの吹き替えを聴いているようで、表情や体格まで自然と想像できる。すべて檀さんの声がベースになっているから、描写とセリフにも調和があって、なめらかに耳に入ってきますね」  参加者からも、「映像を観ながら聴いていると、最初は情報量が多くて忙しく感じましたが、途中から目を閉じると、すっと檀さんの声が入ってきて、不思議な体験でした」と、初めて触れるハイブリッド音声ガイドへの率直な感想が寄せられた。  音声ガイドへのこだわりを熱く語る檀さんは、最後にこう話してくれた。 「好きな映画を、目の見えない人とも一緒に楽しみたくて。何より自分が楽しくてやっているんです」 [小見出し] 作品や好みによって、選択肢を広げる   檀さんが独自に開発してきたハイブリッド音声ガイド。石井さんは、「檀さんの音声ガイドは、エンターテインメントに位置づけられるものですよね。情報保障やアクセシビリティとは、少し異なるレイヤーにあると思います」と評する。一方、同じ当事者として多様な鑑賞体験を重ねてきた関場さんは、一般的な音声ガイドにも、檀さんの音声ガイドにも、それぞれ異なるよさがあると語る。 「フラットな音声ガイドは、ある意味で〝作品そのものを鑑賞できた〞という感覚が強いんです。だから、ガイドは最小限がいいという気持ちもよくわかります。同時に、檀さんの主観を通したガイドによって、映画の世界観や視点をより深く楽しむという鑑賞の仕方もある。人や作品に応じて選択できることが、本当はベストですよね」  音声ガイドが広がっていけば、「アクション映画ならこの人のガイドで」「ラブストーリーはあの人のガイドで」と、作品や気分に応じて選択できる未来もあるかもしれない。聴く人の心を動かす音声ガイドに挑戦し続けるバリアフリー活弁の実践は、他者とともにある豊かな鑑賞の可能性を広げている。 [セミナー2のページ終了] [224ページ、インサイトのページ開始] [タイトル]いつかの明日とわたしの居場所 ブラインド・コミュニケーター 石井健介 「病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、敬い愛し続けることを誓いますか?」  この誓いの言葉をこの場所で聞いたのは12年前だったろうか。窓から差し込む光が、友人である新郎新婦の足元を照らし、穏やかな空気がこのみょうにちかんの講堂を満たしていた。  僕の白杖が床板の上で心地よい音を鳴らす。9年と少し前に視力を失い、その代わりに手に入れたこの杖が、12年前にはあまり気にすることのなかった空間の音の響きのよさを教えてくれた。 歴史を感じさせるこの場所で開催された「だれもが文化でつながるオータムセッション2025」はタイトルに「居場所とわたし」という言葉が添えられていた。この言葉の響きはとても心地よい。これが「わたしの居場所」だったら少し意味合いが違ってくるだろう。居場所がわたしにとって必ずしも肯定的ではなかった場合、肯定できない部分も含めて「ここがわたしの居場所なのだ」と自分自身を言いくるめ、本心を飲み込んでしまうきっかけの言葉になりかねない。それに比べて「居場所とわたし」は、その二つの関係性がとてもフラットだ。 僕は突然視力のほとんどを失ってしまったときに、「わたしの居場所」を見失い、「居場所とわたし」の関係性が崩れてしまう経験をした。そこから9年の間、流れる雲がかたちを変えていくのを眺めるように、居場所とわたしの関係性がかたちを変えるのを眺めてきた。ファッション業界に身を置いていた1990年代後半から2000年代前半はミニシアター全盛期。どこの映画館に何を観にいくのかが重要で、レンタルショップでもミニシアター系の作品を好んで選んできては、小さなブラウン管テレビの前に座り、いくつもの夜を過ごしてきた。映画の前という居場所は居心地がよかったはずなのに、視力を失ってからは自分とは関係のない場所に変わってしまった。  映画の視覚情報を言葉で描写する「オーディオディスクリプション(AD)/音声ガイド」というものがあると知ったのは、居場所との関係が冷え切ってから5年後のことだった。正確に言えば、その存在は知っていたのだが、映画を映像なしで楽しめるはずがないという思い込みから、なかなか食指が動かなかったのだ。その考えをあらためさせてくれたのが、東京の田端駅近くにあるミニシアターのCINEMA Chupki TABATAだった。この映画館は上映するすべての映画に、聴覚障害者のために話者名や音楽の情報が入った字幕を、視覚障害者のためにADをつけている。20席しかないこの映画館の座席に座って『素晴らしき哉、人生!』を5年ぶりに観賞したときに、涙とともに居心地のよい場所へまた帰ってきたんだなという実感があふれてきた。そして僕はADつきの映画と恋に落ちた。  今回一緒に登壇した檀鼓太郎さんは現在のようにアプリでADを聴けるようになる遥か前から、映画をリアルタイムで描写していくバリアフリー活弁スタイルを築き上げ、長年にわたりその技に磨きをかけてきた方だ。今回もその名人芸をみょうにちかんで披露し、その場に居合わせた人の多くは目を丸くし、口をポカンと開けていただろう。  僕もADと恋に落ちてから4年が経ち、いまではADを制作する側の端っこに立っている。立っている場所が変わると見えてくる景色も、居場所と自分との関係性も変化してくる。  ほかのセッションをいくつか聴講したが、登壇された方々も常にそれぞれの「居場所」と「わたし」の関係性に目を向け、絶えず変化し続けてきたのだろうと思う。だからこそ、その活動のなかで「居場所」と「誰か」の新たな関係が生まれているのだと思う。  病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、芸術文化を敬い愛し続けられる「居場所」と「わたし」の関係性でありますように。そしてその足元を光が照らしますように。 [プロフィール開始] いしい けんすけ アパレル・インテリア業界を経てフリーランスの営業・PRとして活動。2016年の4月、一夜にしてほぼすべての視力を失うも、軽やかにしなやかに社会復帰。2021年よりブラインド・コミュニケーターとしての活動をスタート。見える世界と見えない世界をポップにつなぐためのワークショップ・講演活動をしている。 TBS Podcast「見えないわたしの、聞けば見えてくるラジオ」パーソナリティ。 著書に『見えない世界で見えてきたこと』(光文社、2025年)。 [プロフィール終了] [インサイトのページ終了]