[56ページ、セッション2のページ開始] [タイトル] ともにあることを可能にする「気配」 [リード文開始] 多様な背景や特性をもつ他者どうしがともにある。そんな場を築くには? 地域やアーティストと協働でプロジェクトを行うディレクターの青木彬さんと富塚絵美さん、社会課題を抱える人々を支えるソーシャルワーカーの松浦千恵さんは、その手立てを「アートの気配」に見出してきた。それは単に、作品を身近に置いて鑑賞することとは異なる。むしろ、人と人とが出会い、触れ合い、認め合う営みを育む、アートの力とも言えるだろう。かたちのない、しかし確かな実感として立ち現れる力とは̶。(セッション2 アートの気配がある居場所) [リード文終了] [登壇者プロフィール開始] 青木彬 (読み:あおき あきら) 藝とディレクター、社会福祉士 首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。アートを「よりよく生きるための術」と捉え、アーティストや企業、自治体と協働してさまざまなアートプロジェクトを企画している。これまでの主な活動に『ファンタジア!ファンタジア!─生き方がかたちになったまち─』ディレクター(墨田区、2018年~)など。著書に『幻肢痛日記』(河出書房新社、2024年)、共著に『素が出るワークショップ』(学芸出版社、2020年)。 [写真:あおきあきらの顔写真] 松浦千恵(読み:まつうら ちえ) ソーシャルワーカー(社会福祉士・精神保健福祉士) 2004年頃より「バザールカフェ」にかかわるようになり、現在は事務局スタッフ。依存症専門の精神科クリニックと「バザールカフェ」で主に依存症の方に向き合っている。支援という文脈において、人と人がつながったり、人を受け入れていくバザールカフェの「場」の価値をあらためて感じている。共著に『バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる』(学芸出版社、2024年)。 [写真:まつうらちえの顔写真] 富塚絵美(読み:とみづか えみ) アートディレクター 文化企画を通じて、芸術との多様なかかわり方を提案するアートディレクター。2008年より東京都台東区谷中で文化創造拠点をつくるアートプロジェクトを開始。 2018年より盲聾者との交流プロジェクト、2019~25 年は京都市京セラ美術館でラーニングを担当し、2019 年より東京藝術大学のキャリア支援教員、2022年より福祉施設を拠点とした「TURN LAND(ターン ランド)プログラム」のディレクターを務める。 [写真:とみづかえみの顔写真] [登壇者プロフィール終了] [本文開始] [小見出し] 地域に根ざし、豊かに生きるための場づくり [青木]  自分の活動に関してこれまでの経緯を話しますと、大学ではアートマネジメントや文化政策を学びました。卒業後は公共劇場で演劇やこども向けワークショップの企画制作を行い、その後フリーランスのキュレーターとして独立。現在は企業や行政といった、アートを専門としていない方々とのお仕事が全体の半分くらいでしょうか。山のなかや商店街の空き物件、町工場、戦争遺跡̶そういった、美術の制度にはない場所でアートを立ち上げています。活動拠点は東京の墨田区と京都の2拠点で、建築分野の方々との交流もあり、アートとまちづくりに関する執筆なども行っています。  また、僕は12歳で骨肉腫になり、2019年に右足を切断し、現在は義足で生活しています。2024年には、足を切断してからの日々の記録をまとめた『幻肢痛日記』(河出書房新社)という本を出版しました。切断した四肢に痛みを感じる幻肢痛自体は知識として知っていたのですが、実際に自分が幻肢痛を感じたことが興味深く、そこから自分の身体の変化とアートに対する考えを重ねた思考の軌跡をまとめた本です。自分自身のそういった経験や、仕事で福祉領域の方々と協働することも多いため、福祉への関心が高まり、今年の2月に社会福祉士の資格を取得しました。  今日、ここでトークできることがとてもうれしいんです。というのは、今回のオータムセッションの会場である自由学園みょうにちかんの創設者、羽仁もと子さんは、セツルメント運動に携わっておられました。[注1:セツルメント運動、19世紀末のイギリスに端を発する社会改革運動で、主に大学出身者や宗教家など中産階級の人々が、貧困層が暮らす地域(スラムなど)に住み込み、地域住民と生活をともにしながら教育・福祉・文化活動を行う取り組みを指す。支援者が地域に「根を下ろす」かたちで活動することが特徴であり、1884年に建てられたロンドンの「トインビー・ホール」は世界初のセツルメント運動の拠点として知られる。日本でも、大学、キリスト教や仏教などの宗教関係団体や、地方公共団体などがかかわって拠点がつくられ活動が展開していき、現在の社会教育活動や地域福祉活動につながっていった。注1終了] 僕が福祉に関心をもったきっかけの一つが、まさにセツルメント運動なんです。19世紀イギリスの産業革命時は、移民の貧困が社会課題になっていました。その貧困地域に宗教家やボランティアの学生たちが移り住み、自分たちも地域の住民として一緒に生活改善を行ったというのがこの取り組みです。いまでいう地域福祉の源流にあたるもので、一見すると福祉活動ですが、同時代の多くのアーティストもこの運動にかかわっていた。そうした点で、現在のアートプロジェクト的なものだったと言えるかもしれません。また、セツルメント運動の展開を調べていくなかで、僕が拠点を置いている墨田区でも、活動が盛んだったことがわかりました。  僕は『ファンタジア! ファンタジア! ―生き方がかたちになったまち―』というアートプロジェクトを、2018年度から2023年度にかけて、東京都とアーツカウンシル東京との共催事業である「東京アートポイント計画」の一環として行いました。これは、墨東エリアと呼ばれる墨田区北東部を舞台に、地域の人々がアーティストや研究者との出会いを通じて、豊かに生きるための創造力を育む「学びの場」を生み出す試みです。このときにもセツルメント運動をヒントとした取り組みを実施しました。  ここでこの運動を紹介したのは、今日のテーマ「アートの気配がある居場所」につながってくると思えたからです。美術史に名前の残っているアーティストがかかわっていた事例もありますが、そうではない無数の表現者たちが、当時この運動に参画していたのではないかと。セツルメント運動を振り返ることが、いまの自分たちの大きなヒントになるのではないかと考え、ご紹介させていただきました。 [松浦] 青木さんのお話が興味深く、もっとお聞きしたいところですが、わたしもバザールカフェについてお話しさせていただきます。  バザールカフェは、日本基督教団京都教区とバザールカフェプロジェクト運営委員会が共同で計画し、1998年に、多くの方々の力によって立ち上がりました。中心人物を挙げるならば、一人は芸術家のこやまだ徹さん、もう一人は牧師でありカウンセラーも担い、関西学院大学准教授を務めていた榎本てる子さんです。わたしの父は医者で、榎本さんとHIV/AIDSの支援活動をともにしていたので、そのつながりで父から榎本さんを紹介されて意気投合し、バザールカフェで働きながら大学に通いました。それから、社会福祉士と精神保健福祉士の資格を取得して、ソーシャルワーカーの仕事をするようになったんです。わたしはいま依存症者とかかわっていますが、当時からバザールカフェには、当事者の人たちが出入りしていました。その頃は依存症についてまだよく知らなかったけれど、振り返ってみると、そこでの出会いが、この仕事をするきっかけになっているのかなとも思います。  バザールカフェは、日本で多くの西洋建築を手がけたウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した宣教師館をリノベーションした建物。2階建てで1階は店舗、2階は住居になっていて、わたしもここに住んでいます。  そもそもバザールカフェは、名前のとおり「カフェ」なんです。立ち上げのとき、病気で仕事を失ったり、外国籍のお母さんで、子育てをしながら働く場がなかなか見つけられなかったり、という人たちの仕事を探していたのですが、それよりも「働く場所をつくったほうが早いやん!」と。それで、いまもフィリピン、韓国、タイの方々などに母国の料理をつくってもらっています。これは、職を得るということもそうなのですが、支援されるだけではなく、「自分にもできることがある」と再確認するプロセスになり、自尊心の回復にもつながっていきました。料理は本当においしいですよ。うちのカオマンガイは京都で一番だと思っています(笑)。  バザールカフェのテラスには、モニュメントのようにはっさくの木があります。冬になれば実ったはっさくを分け合って、地域の人たちとかかわりを築くきっかけにもなりました。カフェスペースの家具も、みんなでペンキやニスを塗ったり、改修したりして手がけたもの。プロにお願いすればすぐに完成させられるけれど、作業工程をわざわざ増やして、たくさんの人のかかわりしろをつくるというのも、ずっと行っていることです。庭では、百人いれば百通りの過ごし方があります。バトミントンをやっていたり、ハンモックで休んでいたり、本を読んでいたり。一人でも過ごせるけれど、他人の気配もある、そんな場所です。  それから、「バザールフィエスタ」という年に一度のお祭りも。普段バザールカフェで働いているスタッフが自分でオーガナイズして出店し、学生と協働することで互いを知り、交流する場として設けています。そのようにして人が集まり、コミュニティができる場所が、バザールカフェだと言えると思います。 [写真4枚。1枚目:テラス。2枚目:カフェスペース。3枚目:庭での日常風景。4枚目:バザールフィエスタでの出店の様子] [小見出し] 人と人がともにいられる工夫 [富塚]  お二人は自然に起こりそうで、でも自然には絶対起こらない人との触れ合いをつくっていると認識しています。青木さんは美術館以外の場所でキュレーションを展開し、バザールカフェは一見人が集まってのんびり休んでいる場所にも見えるけれど、実に手の込んだ仕掛けがあって成り立っている。「自然に起こったらいいな」ということを、あの手この手でつくっている印象です。お互いの話を聞いていかがでしたか。 [青木]  僕が初めてバザールカフェに行ったのは、高校生のときです。アートに関心をもっていろいろな本を読み、こやまださんやダムタイプの活動を通してバザールカフェを知りました。[注2:ダムタイプ、1984年に京都市立芸術大学の学生を中心に結成された、マルチメディア・パフォーマンス・アーティスト集団。情報化社会やHIV/AIDS、セクシュアリティやジェンダーをめぐる問題、生と死の境界、記憶などをテーマに、映像や音響、コンピュータ制御された舞台装置と身体によるパフォーマンス、インスタレーションを国内外で展開。芸術家のこやまだ徹もメンバーの一人で、ダムタイプもバザールカフェが抱える社会への問題意識に共感し立ち上げに参画した。注2終了] 実際に訪れると、正直なところ「この場所のどこにアートがあるのかな?」と、当時の僕は「アートの気配」に気づけなかった。普通に居心地のいいカフェとして楽しんだ記憶があります。それから18年ほど経って今回の打ち合わせで伺った際、この場所が25年続いているのは本当にすごいことだとあらためて実感しました。 [松浦]  バザールカフェはダサいんです(笑)。でもそれは意図していることでもあります。こやまださんも、「完璧じゃないからこそ人がかかわれるんや」とおっしゃっていて。 そんなバザールカフェと、青木さんが行っている取り組みにも、何か共有できるものがあるように思いました。 [富塚]  このセッションのタイトルにある「アートの気配」は、千恵さんの言葉から取ったんです。打ち合わせのときに「アートの気配がないとわたしは生きていけないとわかった」とおっしゃっていて、「へえ!」と思って。  わたしにとっては、今回の打ち合わせが初・バザールカフェでした。『バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる』(学芸出版社、2024年)というこれまでの活動をまとめた本を読みましたが、実際に行ってみると多様な年齢、出で立ちの人が自然に共存している素敵な風景がありました。さきほど千恵さんが話してくださったはっさくの木も、ただ植えられているわけではなくて、その木を媒介にコミュニケーションが発生するように仕掛けられている。アートとしてそれがちゃんと息づいていて、この場を立ち上げたこやまださんの精神が引き継がれている印象を受けました。 [松浦]  うれしい。本当ですか? [富塚]  本当です(笑)。余白だらけなのに隙がない場所だなって。 [松浦]  ただ、アートの気配が消えそうになるときもあるんです。やっぱり、活動を継続していくにはお金が必要。福祉の観点からは、困難を抱える人たちを支えるという明確なミッションを示すことで、多くの方々の共感を得てきました。言い換えれば、そうしたプロセスを踏まなければ、お金が集まらないということでもあります。  一方で、アーティストのみなさんは、とにかく曖昧で、混沌とした空間をつくるわけです。そのせめぎ合いがずっとあって、次第にアーティストがコミットする機会が減っていったところもある。現在も、アーティストが常時かかわっているわけではありません。それでも、「アートの気配が完全に消えることはないんだな」とも思っていて。それは、最初の段階で仕掛けられたアートが、文化として根づいているからなんですね。  バザールカフェには苦しい状況にある人もいます。揉めることもありますし、でも多様な人が集まるということはそういうことですよね。そういった、「どうしたらいいんだろう、でもいま何かしないと」というときに、アートの気配が必要なんです。みんなで対話するときにも、一息つくためにはアートがいるんですね。 [青木]  松浦さんの「アートの気配がないと生きていけない」という言葉に共感しました。「アート」じゃなくて、「アートの気配」なんですよね。僕は自分のプロフィールにも書いていますが、アートを「よりよく生きるための術」と捉えて活動しています。この4、5年の間に福祉への関心を深めるなかで、セツルメント運動の歴史から感じたものを「アートと名づけられない創造力」と言い表しました。世の中にはいわゆるアートとしては扱われないけれど、無数の表現がある。インディペンデント・キュレーターとして、そういうものと触れ合えるようになりたいと思ったんです。  もうひとつ、ソーシャルワーカーは創造力豊かな専門職だと感じています。緊迫した状況になることもあるわけですが、「どうにかしなきゃ!」というときにこそ工夫が宿るじゃないですか。そこに切実な力が発揮されると思っています。  僕は、そういった方々と一緒に仕事をしながら、「この人たちが感じているリアリティや、いまの制度をちゃんと知りたい」と、社会福祉士の資格を取得しようと決めたんです。その過程では、実習で多くのことを学びましたし、利用者さんとコミュニケーションをとる際などに、「これまでアートにかかわった経験がこんなに生きるんだ」という驚きも感じたんです。そのときに、「アートはやはり必要なんだ」と確信がもてたというか。ソーシャルワークはクリエイティビティにあふれる行為なんだという発見です。バザールカフェはその先駆的な場所でもあったんだなと感じました。 [小見出し] なぜアートが必要なのか? [富塚]  さきほど千恵さんは、「一息つくためにはアートがいる」とおっしゃいましたが、具体的にはどんなことがありますか? [松浦]  それで言うと、「スワロフスキー」の話があります。近くにある大学の学生もバザールカフェでスタッフをしているのですが、かれらも余白がなくて、生きることにしんどさを感じている。みんなといるときに、まるで自分だけが何かをやっている、やらされているかのようにずっとお皿を洗い続けていたりとか。強制しているわけでもなく、みんなも「座ったらいいやん」と様子を見ているんだけど、一人だけギスギスしたり、気持ちがキツくなったりするということが起こるんです。そんな状態のときに、ある人が「座りましょう」と言おうとして、なぜか「スワロフスキー」と言ったんですよ。「なんや」となりますよね。でも、そうしたらみんな座ったんです(笑)。そうやって座るところから、雑談を通して各々の個人的な話がはじまる。その時間をみんな求めているんですよね。専門家に話を聞いてもらうんじゃなくて、普段から時間や場を共有している人と、何をしんどいと感じているのか、ぼそぼそとやりとりをする。それがはじまるためには、「座ろう」じゃなく「スワロフスキー」じゃないとだめだった。そういうことを、バザールカフェでは誰かが起こすんです。  あと、青木さんがおっしゃったように、想像力は大事なキーワードですね。ソーシャルワークとアートは重なり合っているとわたしも実感しています。福祉のように人にかかわる、支援するためには、想像力がないといけない。その人がいる環境や状況をどれだけ思い描けるかが、支援に影響すると思っていて。でも想像力って、常に研ぎ澄ませ続けないと鈍っていきますよね。自分がさまざまな経験をすることで、逆に価値観が凝り固まり、ものの見方を狭めるときもあります。でも、バザールカフェはそれをゆるめられる場所なんです。 [富塚]  「アートの気配が必要だよね」ということを、ここにいる3人は了解して喋っていますが、「本当かな?」と疑問をもっている人もいると思います。なぜ必要なのか、どうやったら伝えられるでしょうか。 [青木]  少し自分の父親の話をします。父は僕が20歳の頃に脳腫瘍で亡くなったのですが、もともと演劇の裏方をしていて。脳腫瘍が見つかって摘出手術をしたあと、言語障害、記憶障害といった症状が出たとき、入院している病棟のロビーを上手、下手に分けていたんです。状況とは合わない言動ですよね。でも、彼は彼なりに自分が失ってしまった機能と現実を、舞台上にいるという設定でつなぎ止めていたと思ったんです。ここは舞台で、上手、下手がある。そうやって自分を落ち着かせていた。僕はそれが、クリエイティビティにあふれる行動だと思えたんです。それは父が、数十年にわたり広く文化芸術に携わってきたからこそ、いざというときに出た行動だと思って。そういうことが起こるためにも、人はみんな、アートに触れたほうがいいんだろうと思えました。 [富塚]  わたしは2020年度からアーツカウンシル東京との共催で、都内の福祉施設にアーティストを招きアートプロジェクトを行う「TURN LANDプログラム」のディレクターを務めています。そこでは福祉側とアーティスト側、どちらかが一方のお手伝いをするわけではなく、一緒に取り組むことで何が起こるかを楽しむ場を設定しています。わたしがキュレーターとして青木さんの活動を見ると、アーティストは福祉側の人とともに課題解決をするだけではなく、作品の発表も行っている。そういう点で、「セツルメント運動」と呼ぶのともまた少し違う活動なのかなと思ったんです。しかも、それを地域のなかで行おうとしていて、すごく複雑なことをしているんじゃないかなって。実際にはどのように進めていたのでしょうか。 [青木]  『ファンタジア! ファンタジア!』では、2021年度から興望館という福祉施設とアーティストの碓井ゆいさんとの協働プロジェクトをスタートし、2022年の「共に在るところから/With People, Not For People」という展覧会に結実しました。興望館は1919年に墨田区でのセツルメント運動を発端に設立され、100年以上の歴史があるんです。その資料室に残されていた写真を図案に起こした刺繍作品と、1939年の職員日誌を手がかりにした架空の職員日誌による作品を展示しました。 [写真3枚。撮影:かとう はじめ。1枚目:「共に在るところから」展示風景。2枚目:刺繍作品。]  このプロジェクトでは、1年目に学童の子どもたちとのワークショップを映像で記録し、アーティストと施設の方へのインタビューを行ったのですが、そのとき施設の方が、「こどもたちは喜んでいていい経験になりましたが、アーティストさんはこれでいいんですか」とおっしゃったんです。でも、一緒に進めていくと、その過程で「これもアートなんだ」とちょっとずつ理解してくれたんですね。展示の最終日にも、ソーシャルワーカーさんが「最初はどうなるかわからなかったけど、青木さんやアーティストの方と一緒にやると、どうなるかわかった気がします」と言ってくださって。「わかった」じゃなくて、「わかった気がする」。そのわかりきれないことを共有できる時間の設計が大事だったのかなと思ったんです。  また、展示が終了したときに、作品をどうするかという話になりました。通常であればアーティストが持ち帰る、あるいはコレクターや美術館が購入します。ただ、80年以上前の職員日誌が残っていたことが頭をよぎり、碓井さんに「作品を興望館に預けると100年くらいは残るんじゃないですか?」という話をして、寄贈することにしたんです。そうしたら、施設のみなさんがバザーやイベントのときに、自分たちでキャプションをつくって、ロビーなどにその作品を展示してくれているんですよ。アートを咀嚼した感じがして、とてもうれしかったですね。これは最初から寄贈する前提で作品制作を行っていたら到達できなかったことだと思うんです。  「人にはアートが必要です」とは、感情的な印象もあって、キュレーターの立場としては言いにくかったのですが、この4、5年でやっぱり必要だと思えるようになりました。それに、セツルメント運動を通して「100年前からアートプロジェクトはある」と言えるようになれば、アートが必要ということが、理論的にも説明できるのかなと。研究者もあまりいない領域なので、実践者としてリサーチしながら、過去と現在をつなげていこうと思っています。 [富塚]  すごく腑に落ちました。打ち合わせのときに、アーツカウンシル東京のもりつかささんが「アートが本当に必要だと確信をもって、それを大切にしている人が専門家だ」とおっしゃっていたのですが、そう実感しました。 [小見出し] 自分の生き方に向き合える「居場所」 [松浦]  すみません、急に話が変わってもいいですか?いまオータムセッションのテーマである「居場所とわたし」という言葉が目に入って、バザールカフェでの打ち合わせで青木さんが話していた、居場所についての話を思い出して。それがすごくおもしろかったので、ここでもぜひ話していただきたいです。 [青木]  はい(笑)。はじめに僕は京都と墨田区を行き来しているとお話ししましたが、昔から一か所にとどまれないんですよ。一つのコミュニティにだけいるのが好きじゃなくて、複数の場所に出入りしたい。自分の身体に重ねると、小学校6年生のときに骨肉腫になり走れなくなったので、いわゆる健常者の子たちの場所にいると障害者とされた。でも、僕は車椅子バスケを中学校からやっていて、そこにいると比較的動ける方の障害者だったんです。その二つのどちらかにも自分がいる、そういう身体感覚がありました。また、母はアートが好きで、父も演劇の人だったので、いろんなところに一緒についていくなかで、「大人ってこれでもいいんだ」とオルタナティブな人生の選択に出会えた。そのときに、自分を一つの場所、一つのアイデンティティにとどまらせなくていいんだと思えたんです。それがアートを軸に、福祉やまちづくりの分野を横断していることにつながっているのかなと。セツルメント運動はまさにアート、福祉、まちづくり、三者の中間にあった領域。自分の関心の交差点なんです。 [松浦]  わたしにとっての居場所を考えると、バザールカフェなのは間違いない。「これからもずっとかかわり続けるんだろうか」と悩むときもありますが、いまは自分にとって必要だからいるんだと思うんです。  「居場所」は「居心地のいい場所」だと、勘違いされているなと思うことがあるんですけど、そうじゃない。居心地がいいだけの場所なら、そのうち必要じゃなくなるんじゃないかなって。バザールカフェがわたしの居場所である理由は、他者を通して自分自身を見る場所だからです。それはとても苦しい作業ですが、自分がどう生きていくかを考える上で必要なことなんですね。  ソーシャルワーカーでいるとき、育児をしているとき、どんなときも「こうあらねばならない」と思ってしまうことがありますが、バザールカフェはそれを解きほぐしてくれる。曖昧で混沌としていていい、答えがなくていい。一緒にいるからといって、お互いに好きになろうとしなくてもいい、理解し合わなくてもいい。それを咀嚼できたことがとても大きかったですね。 [富塚]  「いまはアーティストがかかわっていない」なんておっしゃいましたが、対話を通して、千恵さんにアーティストのような側面があったんだなと気づかされました。お二人とも、今日はありがとうございました。 [引用・参考文献] 注1:セツルメント運動、 大林宗嗣、1926年『セッツルメントの研究』同人社書店 川上富雄、2024年「セツルメント史概観―その誕生から日本における実践まで―」『駒澤大學文學部研究紀要』第81号79- 98頁 注2:ダムタイプ、 NTTインターコミュニケーション・センターアーカイブ「参加者一覧」ダムタイプ 2026年2月20日取得 https://www.ntticc.or.jp/ja/archive/participants/dumb-type/ [セッション2のページ終了] [77ページ、インサイトのページ開始] 「居場所とわたし」に芸術文化も入れてください アーツカウンシル東京機構長 青柳正規 「だれもが文化でつながるオータムセッション2025」は、芸術文化を通じて人々のウェルビーイングを支え、包摂的な社会の形成に寄与することを目的とするクリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョーの理念を、具体的に実践し共有する場として開催されました。本セッションの全体テーマである「居場所とわたし」は、社会のなかで多様な立場に置かれた一人ひとりの存在とそのあり方に、できる限り丁寧な光を当てる視点を提示するために企画されました。 社会には無数の「ひだ」があります。行政や制度の視点からは把握しきれない、くぼみや揺らぎ、手触りとしてしか感じ取れない領域です。「居場所とわたし」というテーマは、まさにそうした社会のひだの奥に分け入り、そこに生きる個々人の実感をすくい上げようとする試みです。その感性によって表現したり表現する過程の行為そのものを、芸術文化であり芸術文化のもつ力として認め合おうとするのが、本セッションの出発点でもあります。 居場所とは、単なる物理的・空間的な拠点を指すものではありません。自然環境との関係、他者や社会とのつながり、文化的表現や価値の共有、そして何よりも「こうありたいと思う自分自身の姿」など、複数の要素が重なり合って形成されるものです。人は生物的 であると同時に、心理的・社会的・文化的、さらには実存的な存在として、多層的に生きています。居場所もまた、その多層性を映し出し、一人ひとり異なるかたちで成立し形成されていきます。 そのことを考える際、わたしたちがその一員であるがゆえに学ばなければならないのが自然です。大地に深く根を張る大木は、揺るぎない存在感をもってその場に立っています。しかし、その安定は、地上からは見えない広大な根の広がりによって支えられていま す。自然のなかでは豊かな根を張ることのできる樹木も、都市空間では制約を受け、同じ姿を保ちながらも根の広がりは制限され弱さを抱え込むことになります。人の居場所もまた同様で、都市化や社会構造の変化のなかで、物理的・相関的な支えが縮減してきまし た。その典型が日常生活で感じることのできるコミュニティへの帰属意識です。だからこそ、「広がることのできない根」を補い、存在を支える別の力が必要と されています。 芸術文化は、その力の一つです。文化は、自然と社会のなかで個人の存在を可視化し、意味づけ、関係づける働きを担います。行為そのものが居場所となる場合もあります。考えること、表現すること、創作することは、自らの存在を確かめ、世界との接点をつくる行為です。人は、そうした営みを通じて「ここにいてよい」という感覚を育んできました。 アール・ブリュットをはじめとする多様な表現活動の広がりは、その象徴的な例です。かつては福祉や支援の文脈のなかでのみ捉えられていた行為が、芸術文化としての属性をもつ表現として評価されることで、アール・ブリュットに携わる人々は社会と新たな回路 で結び直されました。文化が加わることで、居場所は閉じた空間から開かれた場へと変わり、存在の領域つまり居場所は大きく広がり、強化されます。樹木にたとえるなら、アール・ブリュットという考え方が広まることによって、これまで以上に地中に大きく根を張 りめぐらすことが可能となったのです。  アーツカウンシル東京は、東京都の文化政策と芸術文化の現場とをつなぐ中間支援組織として、誰もが創造性を発揮し、社会とつながることのできる環境づくりに取り組んできました。クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョーは、芸術文化の社会的価値をあらためて位置づけ、心身の健康や社会的包摂といった課題に応答する重要な事業です。本セッションの4日間にわたるプログラムでは、講演、対話、展示を通じて、「居場所」と「わたし」の関係が多角的に掘り下げられました。 会場では、立場や背景の異なる参加者が、それぞれの経験や視点を持ち寄り、文化を媒介とした対話が自然に生まれていきました。そのプロセス自体が、居場所をともにつくり出す実践であり、ウェルビーイングを育む時間であったと言えるでしょう。  芸術文化は、人と人、人と社会を結び、持続可能で包摂的な社会の基盤をかたちづくると同時に、新たな未来を構想する想像力をわたしたちに与えてくれます。本記録が、「居場所とわたし」という問いを通じて、芸術文化の果たす役割への理解を深め、今後の施策や実践へとつながる一助となることを願います。 [プロフィール開始] あおやぎ まさのり 専門は古代ローマ美術・考古学。日本におけるポンペイ研究の第一人者で、50年にわたり古代ローマの遺跡発掘に携わる。東京大学文学部教授、国立西洋美術館館長、文化庁長官、東京オリンピック・パラリンピック文化・教育委員会委員長などを歴任。現在、東京大学名誉教授、山梨県立美術館館長、学校法人多摩美術大学理事長ほか。代表的な著書に『古代都市ローマ』(中央公論美術出版、1990年)などがある。文化功労者。 [プロフィール終了] [インサイトのページ終了] [80ページ、セッション3のページ開始] [タイトル] 手探りの先に、見たい風景を思い描く [リード文開始] 「美術館」と聞いたとき、どんな場所を思い浮かべるだろう。そこにはどんな人が集い、どんな時間を過ごしているだろう。多様化する社会のなかで、美術館のあり方は変わりつつある。きのうち真由美さんは学芸員として、作品の展示や保存に特化した美術館を、人とまちへひらく試みを重ねてきた。一方、大政愛さんは地域のコミュニティ拠点としての美術館運営を現在進行形で実践している。そして、文化施設における社会共生の取り組みを展開してきた駒井由理子さんは、二人の活動に〝誰もが美術に触れられ、居ることのできる場をつくる〞という共通の意思を見た̶。(セッション3 更新された美術館の役割) [リード文終了] [登壇者プロフィール開始] 大政愛(読み:おおまさ あい) はじまりの美術館 学芸員 筑波大学芸術専門学群卒業。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。2016年より現職。アートとコミュニケーション、居場所づくりを活動の軸とし、はじまりの美術館では主に展覧会の企画運営、広報、相談業務などを担当。これまで企画した展覧会に「あなたが感じていることと、わたしが感じていることは、ちがうかもしれない」(2017年)、「ぐるぐるまわってみる」(2025年)など。アートミーツケア学会理事。 [写真:おおまさあいの顔写真] 木内真由美(読み:きのうち まゆみ) 長野県伊那文化会館 学芸主幹 2004年4月より長野県信濃美術館学芸員。長野県伊那文化会館、長野県立美術館を経て、2023年4月より現職。展覧会を担当するとともに、美術館の利用に障壁を感じる人たちに向けて、美術館をより身近に感じ、アートと出会える事業も積極的に行ってきた。2021年にオープンした長野県立美術館の建設にあたり、インクルーシブ・プロジェクトの骨格づくりや、「アートラボ」(五感で楽しむ実験的展示室)の設置にかかわった。 [写真:きのうちまゆみの顔写真] 駒井由理子(読み:こまい ゆりこ) アーツカウンシル東京 事業調整担当課長 現在、都立文化施設のアクセシビリティ向上と各施設の社会共生担当の取りまとめに携わる。2023年まで神奈川県の文化施設に勤務。2016年の障害のある方々の4 つの大会の担当をきっかけに文化施設のアクセシビリティ向上に取り組む。2021年にアクセシビリティ向上と教育普及、あわせて神奈川県域での「共生共創事業」を担う。部署の立ち上げにかかわり、以降「芸術文化を社会にひらく」事業に従事し、2024年より現職。 [写真:こまいゆりこ顔写真] [登壇者プロフィール終了] [本文開始] [小見出し] 美術館を社会へひらく実践 [駒井]  最初に、今回のセッションの内容ともつながってくる「新しい博物館定義(注1)」 (注1:新しい博物館定義 博物館の役割とされる「収集、保存、展示、調査、研究」といった学術研究的側面に加え、「包摂的」「持続可能性」「コミュニケーション」「コミュニティ」「省察」といった言葉が盛り込まれた、社会課題に対する博物館の社会的役割を大きく更新させた定義。2019年のICOM(国際博物館会議)京都大会で提出された定義案の継続審議を経て、2022年のプラハ大会で新しい博物館の定義として採択された。欧米の文化政策では、博物館をウェルビーイング推進の拠点と位置づけた取り組みを推進している。 ICOM日本委員会による日本語確定訳文 「博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する。」注1終了) についてお話ししたいと思います。この定義における「博物館」は「ミュージアム」を指していて、日本語で言うところの「博物館」と「美術館」を両方兼ねた言葉です。今日は「博物館」と言ったり、「美術館」と言ったりしますが、いずれも英語の「ミュージアム」として聞いていただければと思います。  さて、わたしたちは今回、事前に新旧の博物館定義をよく確認し合いました。以前の定義はどちらかというと、制度・運営の裏づけとなるような実務的な内容です。一方、新定義には「様々な経験を提供する」とあり、大きな意味での理念が入ってきたと感じています。言い換えれば、〝ものの展示〞の定義に、どのように人がかかわっていくのか、どのように人と一緒に過ごしていくのかという〝人〞の要素が加わってきたと。今日は、この新旧の定義をどうつないでいくのか、それぞれの実践からお話ししていきたいと思います。ではまず、きのうちさんから活動をご紹介いただけますか? [きのうち]  わたしの勤務先は長野県伊那文化会館ですが、所属は一般財団法人長野県文化振興事業団という、県100%出資の団体です。長野県立美術館、ホクト文化ホール(長野県県民文化会館)、松本市のキッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)、長野県伊那文化会館、長野県埋蔵文化財センターという、5つの施設の指定管理を担っています。以前、わたしは長野県立美術館で展覧会企画や教育普及活動を担当していたので、ここでは館の歴史を振り返りながら、これまでの取り組みをご説明したいと思います。  長野県立美術館は2021年にリニューアルオープンしましたが、建て替え工事を行う以前は長野県信濃美術館・東山魁夷館という名称の館でした。わたしが勤務しはじめたのは2004年で、その時点では教育普及が未実施。当時、教育普及は都市圏をはじめある程度全国的に浸透していましたが、上の世代の学芸員にとっては副次的なもので、やはり美術館は作品を守る、作品を展示するところという認識のある時代でした。  なので、教育普及を行うにあたっては、学芸員ではなく総務課のみなさんに、「こどもや高齢者の方々とかかわり、美術館を社会へひらいていく活動なんです」とその意義を伝え、ご理解いただいたんです。というのは、当時は指定管理者ではなく随意契約だったので、総務課が県職員だったんですね。それで、「やってみたら?」と後押しを受けて、まずは予算ゼロの状態からスタートすることになりました。  前職で板橋区立美術館に勤務していたこともあり、信濃美術館への配属当初から企画展を担当したのですが、最初はその予算を工面して関連ワークショップをひらくなどし、どういうことができるかを試していました。このときの取り組みを一つ紹介すると、盲学校と連携して行った「手で見て触る彫刻展」があります。この展覧会は、信州大学教育学部で彫刻を指導されている先生との縁から実現したんです。触ることのできる彫刻作品を学生が盲学校へ持ち運び、文化祭で展示するというものでした。 [写真:長野県立松本盲学校での「手で見て触る彫刻展(2008年)」の様子]  それから、伊那文化会館で5年間勤務し、2014年に再び信濃美術館に戻りました。この頃になると、館では「地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業(注2)」 (注2:地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業 文化庁が2015年から開始。美術館・歴史博物館を主体に、地域にある文化財の活用、観光振興、多言語化による国際発信、国際交流、地域へのアウトリーチ活動、人材育成などを通し、美術館・歴史博物館を活用・強化する取り組みを支援する事業。注2終了) という文化庁の事業が行われていて、補助金を得て地域とつながる企画を担うことになります。基本的にはアウトリーチ活動が中心で、館としてもバリアフリー化への限界、教育普及活動の周知の難しさを経験し、今度はとにかく外にアプローチしようという感覚でした。  そしてその後、全面改築して、新たに長野県立美術館が開館。この美術館を建てる際には、建築家と議論を重ね、美術館の機能を大きく二つに分けました。一つは、作品を保管・展示する美術館機能。もう一つは、県民ギャラリーや交流スペースなどを有した、人が集い出入りする「屋根のある公園」という機能です。  新築にあたっては「ランドスケープ・ミュージアム構想」という、〝周辺の風景に溶け込む美術館〞というコンセプトもありました。わたしは、やはり自然だけでなく、人もまちも含めた空間のありようが、ランドスケープなんじゃないかなと考えています。開館に至るまでに、視覚や聴覚などの障害者団体、重い障害のあるお子さんのお母さんたちによる会の方々などと、建築家、県職員、美術館担当者が顔を合わせてお話しする過程を大事にしてきたことも、お伝えしておきたいと思います。 [小見出し] 「居場所」としての美術館へ [駒井] ではここで、大政さんにお話を聞いてみましょう。といいますのも、わたしときのうちさんは同世代でして、さきほどの博物館定義の話にもあった、実務としての制度にどうやって風穴を開けていくかを試みてきた立場なんです。世代の異なる大政さんのお話から、その違いをみなさんと考えていけたらと思います。 [大政] はじまりの美術館は、「人の表現が持つ力」や「人のつながりから生まれる豊かさ」を大切に考え、「誰もが集える場所」として、2014年6月に開設しました。長期的な目標としては、福祉とアートが同居するこの場所が、寛容で創造的な社会がひらかれていくきっかけになることをめざし、日々活動を行っています。  美術館の運営は、郡山市にある社会福祉法人安積愛育園が行っています。ここは1967年に設立された、主に知的・発達障害のある方の支援をする法人です。児童の入所施設にはじまり、通所支援事業所、グループホームなど多岐にわたる事業を行っており、そのなかの公益事業という位置づけで美術館を運営しています。  安積愛育園では、1997年頃に創作活動がスタートしました。ボールペンを組み立てたり、おまんじゅうの箱を組み立てたりといった作業よりも、何かを表現したりつくったりする方が合っているな、という利用者の方がいたことから、スタッフが自主的にはじめた取り組みです。その後、「いつかアトリエ&ギャラリーをもてたらいいよね」とスタッフ間で思いめぐらせていると、2010年にフランスで開催された「アール・ブリュット ジャポネ」という展覧会で、利用者さんの作品が紹介される機会がありました。それがきっかけとなり、作品を散逸させず、国内で根づかせていくために美術館をつくろうという構想が、日本財団の助成で動いていくことになります。ただ、2012年頃に開館を予定していたものの、2011年の東日本大震災の影響で延期になって。あらためて、作品を展示するだけの場所ではなく、地域のハブとしても機能する場所にしようとコンセプトを立て直し、2014年に開館を迎えました。  美術館では、展覧会のほか、居場所づくりと交流を行う「オハコカフェ」、作家の表現のアーカイブとSNSでの発信、地域の人や団体とのコラボレーション活動などを行い、さまざまなイベント企画、障害のある方の表現活動に関する支援センター事業も行っています。建物は築約140年の酒蔵をリノベーションしたもので、端から端まで十八間、約33mの長い梁が通っています。大きい蔵ですが、西側からも東側からも入って抜けられる構造になっています。  まず、展示室についてお話しします。梁が長いと言いましたが、展示室自体も細長くて、建物の北側から三分の二の広さをもっています。そして、南側にあたる三分の一が、ワークショップもできる多目的スペースのオハコカフェ。展示室には靴を脱いで入ります。美術館としては珍しいと思いますが、近隣の方が農作業の前後に立ち寄れるように、雪国なので長靴でも来られるように、というコンセプトによるものです。靴を脱ぐので、赤ちゃんも床をハイハイできるんですよ。 [写真:北側の展示室からは南側のオハコカフェを望むことができる]  ここでは年に約5回のペースで企画展を実施し、これまでに200組を超える作家を紹介してきました。展示ではテーマを決め、それに合わせて障害のある作家、現 代アートなどの作家の表現を並列に展開し、体験型の作品を展示することもあります。 例を挙げると、過去には今井さつきさんというアーティストが、《人間ノリ巻き》とい う、自分が海苔巻きになれる作品を展示しました。 [写真:今井さつき《人間ノリ巻き》(「無意味、のようなもの」展、2018年)]  また、来館者が主体的に展示に参加できる仕組みを、意図的に取り入れているところも特徴の一つ。展示によっては「はじまりの美術館に暗闇の遊園地があるらしい」「光る車いすがあるらしい」などと伝わって、地域の小学生たちのなかでブームが起こるときもあるんです。櫛田拓哉さんというアーティストの「つみコップ」という取り組みは、紙コップを自由に積み上げていくものなのですが、こどもたちが、「今日はあそこまで積み重ねよう」と話しながら楽しんでくれました。 [写真:櫛田拓哉《こどものにわの作り方》より「つみコップ」(「こつこつと手さぐる」展、2025年)]  ここで、「寄り合い」というはじまりの美術館ならではの活動をお話しします。もともと猪苗代町には美術館がなかったので、開館にあたっては、「急に美術館ができても〝自分には関係ないや〞と思われてしまうのではないか」という懸念もありました。そこで、地域の方々と一緒に取り組む美術館づくりを目指し、開館前にはじめた活動が寄り合いです。最初は町民ワークショップとして開催したのですが、「美術館でどんなことをやってみたいか」「美術館ができることで、まちがどんなふうになっていくといいか」と、期待や想いを寄せてくださる方が参加してくれました。これは開館後も続いていて、冬になるとオハコカフェにこたつを出して、みんなでみかんを食べながら話し合いをしています。 [写真:町民たちが集う寄り合いの風景]  活動内容をご紹介しますと、たとえば「猪苗代あいばせMAP」があります。開館してすぐは、猪苗代に来ても、はじまりの美術館だけを見てまっすぐ帰ってしまう方が多くて、地元の方からは「いいところがいろいろあるのに、もったいない!」という声がありました。そこで、地元の人がおすすめのスポットを自ら紹介するマップを一緒につくったんですね。「あいばせ」は、会津弁で「一緒に行こう」という意味です。 [写真:猪苗代あいばせMAPは美術館や町内で配布]  ほかにも、美術館の敷地には小さなタライを埋め込んだ池があるのですが、地域の方がそれを「猪苗代湖のかたちの池にしたい」とおっしゃって。地面を測量したり、手作業でコンクリートを調合して工事したりして、本当に完成しています(笑)。また、ここ数年は秋になると「焼き芋の季節だね」と言い合って、焼きたいものを持ち寄ることも。だんだんと石焼き芋の技術を習得して、みんなでおふるまいをしています。  「それって美術館なの?」「どこがアートなの?」と思われるかもしれませんが、寄り合いは、はじまりの美術館という場があったからこそ生まれたゆるやかな活動であり、いろんな人が集う美術館がもつ「遊び」の部分だと思います。ボランティアと違って、自分たちがやりたいことを自分たちでやる。そんな地域のみなさんの集まりです。  最後に、居場所についてお話しします。わたしにとっての居場所は「そこに行けば、顔を知っている〝誰か〞に会える」「新しい人やものとの出会いがある」「何もしなくても、そこに居ることが許される」、この3点があてはまるところだと思っています。  はじまりの美術館は、常勤スタッフが館長、企画運営、学芸員の3人、パートスタッフが2人、合計5人で運営しています。事務室もなく、スタッフは常に受付かカフェスペースにいるんですね。そうやって表に出ているので、来館者の方々と交流する機会が多く、「この人とこの人は話が合いそうだ」と、地域のつなぎ役を担うこともあります。  ここには、特別な用事がなくても来てくれる人がいます。また、展示室で表現に触れて何かをしたくなる人たちがいたり、「ここに来れば何かおもしろいものがある」と、展示ごとに来館してくれる人たちもいる。近所の方だけではなく、遠方の方もはじまりの美術館を気にかけて、いろいろなかかわり方をしてくださっています。  わたしにとっての居場所について少し付け加えると、「いなければならない場所ではない、自分が自分らしくいられる場所」とも言えるかもしれません。冒頭で地域のハブという言い方をしましたが、はじまりの美術館は、「自分ごととして、さまざまなことに出会える」「誰かの日常につながっている」「さまざまな人が集うことができる」、そのような居場所だと思っています。 [小見出し] 美術館とのかかわりを生み出す [駒井]  お二人とも、ありがとうございます。まず、きのうちさんのお話では、「手で見て触る彫刻展」が印象に残りました。文化施設側は、つい自分たちがいる施設から提供するという方向で考えてしまうので、ともすれば「触る彫刻をつくりましたので、来てください」といったアプローチになりがちです。でも、きのうちさんはそうではなく、「彫刻を触りたい」という盲学校側からの言葉を美術館として受け取り、展覧会というかたちで応答した。コミュニケーションが成り立っていると思ったんです。 [きのうち]  あの展覧会は、「目の見えない人たちが作品を鑑賞するには?」という視点から生まれたんです。長野県立美術館では現在も、いろいろなインクルーシブプロジェクトを行っているので、ぜひ来ていただきたいですね。信濃美術館時代は教育普及担当者がいませんでしたが、いまは学習交流係という部署もあって、学校団体を対象に教育普及を行う学芸専門員も数人います。 [駒井] 理念を実務に落とし、それを制度にして持続可能なものにするところは、きのうちさんならではの真似のできない技だと思います。一方で大政さんは、新しい博物館定義にある「倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティへの参加とともに博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する」というところを、非常に軽やかに実現させ、次のステップへと旅立とうとしている。さきほど、はじまりの美術館にはこどもたちが来るとおっしゃいましたが、それはなぜだと感じますか?大政さんは「小学生の子たちの間でブームにさせよう」と狙っているわけではないじゃないですか。 [大政] そうですね(笑)。でも、体験できることを展示に取り入れている点は大きいと思うんです。こどもたちが「何度も行きたい」となるのは、見るものがあるときというより、何か変化があるものや、自分が何かを仕掛けられるものがあるときですね。手紙を書く作品を展示したときは、ある女の子が毎週、違う友だちやお父さんを連れてきていました。そういう、誰かを連れてきたくなるような要素が、展示のテーマや作家の組み合わせ、作品がマッチすることで生まれ、ヒットするのかもしれないなと思います。 [きのうち]  これまでわたしは制度や建物によって、つまり、既にあるものを活用してどう美術館をひらいていくかを考えてきましたが、「自然にこんなことができているんだ」と驚きました。長野県立美術館は高校生以下無料なんです。道を挟んだ隣に小学校があって、子どもたちも毎日来ようと思えば来れる環境。中学校もそう遠くないところにあるのですが、「どうやったらこどもたちの間でブームになるの?」とお聞きしたいです。 [大政] かれらは必ずしも展示のために来ているわけではなくて、「バスケットボールして、クレープ食べてから美術館に来ました」って言うんです(笑)。まちには遊びになるコンテンツが少ないので、日常のなかで、美術館の展示が感覚的にフィットすると、遊びのルートの一環としてやって来てくれる感じですね。  開館前の寄り合いのメンバーには、小学生もたくさんいたんです。「美術館ができたら秘密基地をつくりたい」と計画を立てたチームがあったり、広報チームにも小学生がいたり。いま、寄り合いメンバーにこども世代がいないのは悔しいので、遊びに来ている子たちにも加わってほしいし、中高生とももっとかかわっていきたいですね。 [駒井]  昨日のセッションに「アートの気配がある居場所」がありました。わたしも「アートの気配」が好きで、ついアートを仕掛けちゃうんですよ。前職の公益財団法人神奈川芸術文化財団が管理・運営していたKAAT神奈川芸術劇場では、芸術監督が道行く人に劇場や演劇の存在を感じてほしいと、ガラス張りの広いアトリウムを利用して、アートパフォーマンスを行っていました。こちらから仕掛けていくことも、コミュニケーションを生むきっかけになるのかなと、いまのお話を聞いて思いました。 [きのうち]  仕掛けるという意味では、長野県立美術館時代にヒットしたと思う企画に、彫刻家の冨長敦也さんによるアートプロジェクト『Love Stone Project-Nagano』があります。これは、美術館の建設中に、地下から3つの巨石が見つかったことがきっかけではじまったプロジェクトで、館で出会う人々とともに石を磨くというもの。冨長さんが電動ヤスリで表面を削った石を、リニューアルオープンに合わせて交流スペース前に移設し、来館者と紙ヤスリなどで磨いていきました。いまでも毎年、冨長さんと石磨きワークショップを行っています。ずっと参加し続けてくれている方もいるんですよ。こうした試みが定着していけば、どんどん人が集まっていくんじゃないかなって。それはわたしが見たい風景でもあります。 [写真:冨長敦也『Love Stone Project-Nagano』]  最近、美術館でベビーカーを押して歩いている方が増えていて、すごくいいなと思っているんです。小さな頃から美術館という場に来て、その空気感を感じながら育つこどもたちが、これからどのようになっていくのか。とても楽しみですね。 [駒井]  わたしのこどもがまだ小さいとき、ベビーカーで美術館に連れて行ったことがあるのですが、インカムで指示を受けた警備員さんが走ってこられて(笑)。「わたしは来てはいけない人なんだ」と思ったことがあったんです。長野県立美術館では、こどもと一緒に美術館に来ることが、来館者にとっても日常的になってきている体感はありますか? [きのうち]  いまは多様な来館者を迎え入れるための制度として、いろんな美術館でベビーカーツアーが行われていて、長野県立美術館でもすごく人が集まります。ただ、それは一方で、来館が禁じられているわけではないのに、気兼ねがあって来られないということでもあるのかなと。ベビーカーツアーという制度がなくても、気軽に来てもらえたらいいなという想いがわたしにはあるので、そういう点では、長野県立美術館のひらかれた建築のあり方はそのハードルを下げてくれたと思います。でも、来館者の方にとっては、きっかけとなる制度がある方が来やすいということはあるかもしれません。 [大政]  はじまりの美術館は、特定の対象者に向けたイベントは基本的にしていないのですが、やはりそれは施設が小規模で、公立美術館とは役割がまた異なるからだとも思うんです。むしろ、うちだと距離感が近すぎて行くのに躊躇するけど、大きな館だとベビーカーツアーや障害のある人のための特別鑑賞会、手話通訳などが制度として整っていて、必要な配慮のもとで鑑賞できるという安心感もあると思います。  そういう規模感ともつながってくるかもしれないのですが、うちは来館者の様子をSNSでお届けすることが多くて。「いい風景、いい時間だな」と思うと、許可をいただいてInstagramのストーリーズに載せています。それを見た方が、「赤ちゃんを連れて行ってもいいんだ」と来てくれる。自分がそこの空間にいることを想像できるような情報発信を心がけていますね。 [きのうち]  打ち合わせでそのお話を聞いて、なるほどと思ったんです。美術館は何を展示しているかといった〝もの〞を発信しがちなんだけれど、来館者としては、そこで自分はどういうことができるのか、実際の様子を見て想像を重ねたいですよね。 [駒井]  大政さんの軽やかなあり方と、きのうちさんの構築的なあり方。異なるアプローチに見えますが、実は、めざしているところは同じなんだと感じます。最後に、お二人から一言ずついただけますでしょうか? [きのうち]  美術館は、誰もが気を張らず、ふと立ち寄れる場所であってほしい。そうした状況をつくるためには、まだまだ何か仕掛けていかないといけないなと思います。そしてそれぞれの施設で、やらなければいけないと思ったことをどんどん試してみれば、壁は破れていく。そうやって社会は変わってきたし、これからも変わっていく気がします。 [大政]  「軽やかなあり方」と言っていただきうれしかったです。はじまりの美術館は、わたし一人ではなくチームで運営していますし、地域の人からの何気ない一言が新しい企画につながることもあって、出会いがあるからこそ成り立っているなと思っています。今日のきのうちさんのお話のなかで、「どういうことならできるのか、試しながらやっていった」とありましたが、わたしたちもまさにそうです。わたしは新卒採用でしたし、スタッフの5人とも、誰もほかの美術館で働いたことがない人たちです。でも、わからないからこそ手探りでやってこれたと実感しています。それはきっと、どこの現場でも同じで、そうあっていい。そういう共通認識をもっていけたらいいなと思います。 [引用・参考文献] 注1:新しい博物館定義、 ICOM(国際博物館会議)日本委員会、2023年「新しい博物館定義、日本語訳が決定しました」2025年9月20日取得 https://icomjapan.org/journal/2023/01/16/p-3188 Konta、2024年「博物館の定義から経営を考える―ICOM定義の変遷とその意味」 Museum Studies JAPAN(2025年9月20日取得 https://museumstudies.jp/2024/05/28/what-is-museum-definition 注2:地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業 文化庁「地域の核となる美術館・歴史博物館支援事業」2026年2月19日取得 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bijutsukan_hakubutsukan/shien/kaku/ [セッション3のページ終了]