レクチャー&ワークショップ テーマ4「視覚障害と鑑賞プログラム」
2023年11月10日(金曜日)
- 日時:2023年8月4日(金) 13時30分〜16時
- 場所:東京都美術館 ロビー階第4公募展示室
- 講師:白鳥 建二(全盲の美術鑑賞者)、岩中 可南子(アートマネージャー)
- 手話通訳:新田 彩子、山田 泰伸
目次
1)オープニング&自己紹介
2)齋藤 陽道さんの写真を鑑賞
3)「NISHINARI YOSHIO」の服を鑑賞
4)檜皮 一彦さんのインスタレーションを鑑賞
5)振り返り
1)オープニング&自己紹介
「全盲の美術鑑賞者」として、目が見える人と一緒に美術館に行き、喋りながら鑑賞する活動を続けている白鳥 建二と参加者が『だれもが文化でつながるサマーセッション2023』の展示会場を巡り、作品を鑑賞するという内容です。参加者は7名で、朗読ボランティアをしている女性、デザインコンサルティング会社を経営している男性、日本語講師をしている女性、小学校5年生の娘さんとお母さんなど多様な顔ぶれです。
白鳥さんから「作品に関することだったら何を話してもいい」「最初は見たものをそのまま言葉にすると、やりやすいかもしれない」「答えを探すものではないので、間違っているかもしれないと怖がらずに発言してほしい」「自分(白鳥さん)に説明する鑑賞会ではない」「喋りたくなかったら喋らなくてもいい」と鑑賞の方針が伝えられたところで、さっそく出発です。
2)齋藤 陽道さんの写真を鑑賞
一行がまず観に行ったのは、齋藤 陽道さんの写真作品です。6点の写真作品の中から岩中さんが鑑賞する対象として選んだのは、洞窟のような場所で小さな子どもを写した、青の陰影が印象的な1枚でした。
「これはどこで撮影したんだろう」「どこかわからない写真なんですか?」「逆光で影になっていて……でも、海ですね」「人影がこっちへ向かってきています」「全体は青いけど、奥の黄色っぽいところが印象的ですね」「それは何ですか?」「わからない……岩のような、縄のような、生き物のような……」と、まずは何が写っているかを口にする参加者の皆さん。白鳥さんも質問を投げかけ、それに参加者が答えて言葉が行き交います。
次第に作品から受ける印象や解釈も混じるようになり、1人が「鍾乳洞のような場所で裸に近い子が写っているので、母体から出てきたようなイメージが浮かぶ」と呟くと、別の人が「そう言われると、海から人類が上がってきたような原初的なイメージも湧く」と返すなど、お互いに触発されて作品を見る目が変わっていく様子が見られました。白鳥さんはだんだん言葉少なになっていき、微笑みながら「うんうん」と頷いています。
数分が経つと、参加者の発言と発言の合間に沈黙が続くように。そうしたなか、1人の参加者が右隣に展示された作品に言及すると、「構図が似ていて色が対照的だから連作なのかも?」「右隣の作品の子どもは大人に抱きかかえられているけど、こっちの子は一人で立っていて、自立する意志のようなものを感じる」「でも、自立を表すなら向こうに走って行くほうがいいのでは」「ホームグラウンドを少しだけ出て冒険し、また帰ってくる。行き来を繰り返して自立していく、ということじゃないでしょうか」と話が再び盛り上がりました。
そうこうしているうちに20分ほどが経過し、白鳥さんが「最後にタイトルだけ確認して、そろそろ次に行きましょう」と促します。「出づるひとと(シリーズ『神話』)」というタイトルを見て、参加者の皆さんは「はあ〜」「ふふふ」と、言葉にならない感嘆の声を漏らしていました。なお、「右隣の作品と連作なのでは」という話が出ていましたが、実は左隣の作品2つと連作だったようです。
3)「NISHINARI YOSHIO」の服を鑑賞
続いて一行は「NISHINARI YOSHIO」の展示スペースへ。「NISHINARI YOSHIO」は美術家・西尾 美也さんと大阪市西成区の女性たちが共同で立ち上げたファッションブランドで、一風変わったデザインの服が並んでいます。岩中さんが選んだのは、トルソーにディスプレイされた朱色のトップスでした。先ほどと同様、展示に関する情報を入れずに鑑賞していきます。
「袖に膨らみがあって(袖口が)シュッとしていますね」「後ろが意外で、ウエストくらいまでしか(丈が)ない」「花柄がレトロで綺麗」「リボンを外すとどうなるんでしょう」と、服に触れ、順番に後ろを覗き込みながら話す参加者の皆さん。やがて、「何か機能を求めて改造したのかな、でも可愛らしさは失わないようにしようという心遣いも感じます」「(袖は古そうな反面、前身頃は新しそうなので)もしかしたらこの花柄の服がものすごく好きでリメイクしたのかも」「袖口がきつめだから作業用っぽい」「服の上から着ることを考えた割烹着かな」と、話題の中心はこの服の背景や用途へと移っていきました。また、「うちのかみさんが買いたいと言ったらおすすめしますね。個性的でほかにないもん」「でも、ボトムスは何を合わせればいいだろう」「襟ぐりが広くて着やすそうだし、腕も曲げやすそうだし、おばあちゃんが生きていたらプレゼントしたかったな」といった、実際に着用することを考えた意見も上がりました。
実は、この服は「人生最後に着てみたい服」というお題で制作されたもの。以下がその解説文です。
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自分エプロン
魚屋を営んでいたので人生の大半をエプロンで過ごしてきた。いつも地味な服だったので、派手なエプロンをつくってみたいと、赤い生地と花柄の生地を選んだ。最近はご飯を食べているときによくこぼすようになったので、前は膝くらいまで長くなっていて、後ろはトイレに行きやすいように開いていて、紐は縛りやすく前にくるようにデザインした。
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一通り話した後、この解説文を確認した参加者の皆さんは「なるほど〜」「(想像以上に)めっちゃ実用的でしたね」と笑い合っていました。
4)檜皮 一彦さんのインスタレーションを鑑賞
最後に鑑賞するのは、自身も車いすを使用するアーティスト・檜皮 一彦さんによる車いすを使ったインスタレーション作品です。展示スペースの前方にはコの字形に車いすが並び、後方には台の上にひっくり返った車いすが数十台展示されています。壁には映像が映し出され、何かのパーツのようなものも飾られています。
参加者の皆さんは「何から話せばいいのかわからない」と戸惑いを見せながらも、「車いすが全部同じかと思ったら、実は全部違っていて個性的ですね」「ほんとだ、持ち手が違ったり、ブレーキがついていたり、ホイールにミラーがついていたり」と言葉を発しはじめました。最初は遠巻きに眺めていましたが、1人の参加者がコの字の中央のスペースに入ると、「あ、そのスペース入っていいんだ」と全員が追従。「ここには3Dプリンタがあって、10センチほどの車いすの模型のようなものを作っています」「壁にその模型が展示されていますね」と、近くにあるものへと鑑賞の対象が移りました。台の上には、黒のフルフェイスマスクをかぶったマネキンも2体置かれています。
「マネキンは拷問具をつけていて、見えない、喋れないようにされています。乱暴な表現だけど、車いすって自由を奪われている状態とも言えますよね。あなたたちも同じじゃないですか、3Dプリンタで作られた工業品みたいなものじゃないですか、と投げかけているように受け取りました」「車いすが4つくっついた模型もあって、私は反対に車いすの無限の可能性みたいなメッセージも感じました」「壁に階段の映像が投影されていますね。階段は車椅子の最大の敵ということでしょうか」と、作品の解釈をめぐり議論が白熱。
「こっちの車いすはフラットな場所にあるけど、向こうでは台の上で逆さになっている。段があると車いすは無用の長物と化すということかな」「段差に対する車いすの挑戦。いままさに3Dプリンタで車いすを量産して戦っているということなのかも」「このマネキンにも、羽の生えた車いすが描かれていますね」とまだまだ話せそうな様子でしたが、ここで時間切れ。ワークショップスペースに戻ることになりました。
5)振り返り
▲振り返りで質問に答える岩中さん(中央でマイクを持っている)と白鳥さん(右側でマイクを持っている)
鑑賞から戻ってきた後の時間は、ワークショップ参加者だけでなく会場にいる来場者の方も参加自由となっていて、様々な方を含めて振り返りと質疑応答が行われました。その一部をご紹介します。(以下、ワークショップ参加不参加にかかわらず、参加者と表記)
参加者:自分がいま感じたことをそのまま声に出すというのは初めての体験で、それによって頭の中に浮かんだイメージが全部言語化されるのがすごくおもしろかったです。
白鳥:言葉に出すことで確認できたり、そこで初めてわかったりすることってありますよね。
参加者:作品に対する発言からその人の個性が見えてきますね。参加者の皆さんのキャラクターとか距離感とか、人のほうに興味が向かいました。
白鳥:そうそう、そうなんですよね。僕はもともと美術が好きだったわけではなくて、彼女と美術館デートをしてその時間が楽しかったことがきっかけで美術館に通うようになったんです。もう25年ほど前ですね。最初はどういう方法がいいかわからなくて……視覚に障害のある人が美術鑑賞をするというと、「彫刻に触る」などが頭に浮かぶでしょう。それは結構ハードルが高いので、何かほかに楽しめる方法がないかなといろいろ試すうちに、会話しながら鑑賞するという方法に落ち着いたんです。
参加者:作品を客観的に説明するのではないところがよかったです。例えば、「これは長辺が15cmで短辺が5cmの二等辺三角形です」という描写って、誰が言っても同じでつまらない。この鑑賞会はそういうこととは全く違って、何をどう見てどう言葉にするかが完全に自由だったので心地よいと感じました。そして、もしかしたら白鳥さんは普段、身の回りのことはディスクリプティブに説明されることが多くて、美術鑑賞の場ではそうではないところにギャップやおもしろさを感じているのかな……なんて考えたのですが、どうでしょうか。
白鳥:たぶん、視覚に障害のある人の中でも僕はちょっとひねくれているというか、あまのじゃくなのかもしれません。視覚障害があって美術館によく行く人の中で多いのが、中途失明者の方。見えていたときからアートが好きで、見えなくなってからも家族やボランティアさんと美術館に行くというパターンですね。そういう方の場合、もっと正確に教えてほしいという希望を持つかもしれません。
でも、僕の場合は本当に小さい頃から見えなかったから、見えていたときの視覚の情報があまりないし、頭の中で映像をつくることをゴールにしていなくて。もっといろんな美術館の楽しみ方を探りたいという気持ちがあるんです。
作品の解説文を読むのも楽しみ方の一つだけど、それだけがすべてではありませんよね。作品鑑賞ってすごく個人的なものだから、本当にいろんなパターンがあるはず。作品があって人がその場所に行って、そこで起こることをいろいろ試したいと思っているのがこの鑑賞会です。だから、僕自身も当然楽しんでいるけど、参加してくれた方が何かを持ち帰ってくれたらいいなと思っています。
参加者:私が1人で鑑賞したら、たぶん3秒ほどで終わってしまうと思うのですが、皆さんと「こんなふうにも見えるよね」とお話しながらじっくり鑑賞できて楽しかったです。あと、シーンとなる瞬間が気まずくなかった。みんな「何かないかな」と探している、その時間が素敵だなと思いました。
岩中:私はつい沈黙を埋めたくなってしまうタイプなのですが、白鳥さんは鑑賞会の最中もあまり発言しないし、質問もそんなにしませんよね。
白鳥:最近、沈黙がすごく好きになっちゃって。沈黙になったときに「みんなどうしてるんだろう」と想像するのも楽しいし、沈黙を破って出てくる言葉も「そこを見ていたんだ」とわかって楽しい。だって、色や形の描写ならともかく、そこから自分が何を感じたかって、すぐに言葉にならなかったりするじゃないですか。鑑賞って美術館にいる時間だけで終わるものではなくて、後になってわかるものもあるでしょう。だから、沈黙の時間もみんなで共有すればいいし、僕が下手に質問するよりは、参加者の皆さんから出てくる言葉を待った方が楽しいなと思っています。
岩中:鑑賞会でほとんど喋らなかった人が、一週間後のアンケートでたくさん感想を書いてくださって、「そんなふうに見ていたんだ」と驚くことがあります。「その場で出てきた言葉だけがそこで感じたこと」と思いがちだけど、家に帰ってから考えが深まることもある。だから白鳥さんは、「その場で無理に言語化しなくてもいい」ということを大事にされていますよね。
参加者:白鳥さんは先ほど「触る鑑賞」について「ハードルが高い」とおっしゃっていましたが、課題などお気づきの点があれば教えていただけると嬉しいです。
白鳥:一般的な話をすると、「触る鑑賞」は作品保護の観点から制限が多いんです。触れられる作品が少ないし、相当注意深く触らなくちゃいけない。選択肢が狭まってしまうというのが一番ですね。
でも、「触る鑑賞」が嫌いなわけではありません。喋りながら触って鑑賞するので、いつもと楽しさは同じです。僕は最近、野外彫刻がすごく好きなんです。自由に触れるものが多いし、作品との距離や時間帯、太陽の位置によっても印象が変わるから、「楽しさ何倍だい?」と思います。山口県宇部市で開催されるUBEビエンナーレという野外彫刻の国際コンクールに携わっている人がいるのですが、毎日現場にいていろいろな時間帯の作品の魅力を知っているから、その人の話を聞きながら鑑賞するとすごく楽しいんです。子どもだったら作品に乗ったりもできますからね。鑑賞というより作品と遊んでいるみたい。そういうのは最高ですね。
参加者:美術館に勤めているのですが、静かに鑑賞したいという考えのお客様が多く、今回のワークショップのように「喋りながら見てください」と言いづらい環境です。私自身はそれを寂しく思っているのですが……。白鳥さんは鑑賞をしていて、「静かにしてほしい」と言われたりすることはありませんか?
白鳥:そういう経験はほとんどありません。僕自身は、喋りやすい美術館も喋りにくい美術館もあっていいと思っています。だから、ポイントは「静かにしてほしい」と言う主体がお客さんなのか美術館なのか、ですね。お客さんだったら、その人が去ってくれるまで待てばいい。でも、美術館が「静かに見てほしい」と思っているなら、喋らないほうがいいと思っています。公立美術館だったら「それはどうよ」と言う余地があるかもしれないけど、民間だったら自由ですから。
なお、僕はこうして喋りながら鑑賞することを長年続けているけど、あくまで「僕の場合はこの鑑賞方法に行き着きました。よかったら皆さんも試してみませんか」という気持ちでやっているだけで、「この鑑賞の仕方がすごくいいから広めたい」と思っているわけではありません。だから、皆さんもそれでいいと思うんですよ。「今日は楽しかったけど、やっぱり静かに1人で見るほうがいいや」となってもいい。それがわかるだけでも意味のあることだと思っています。
岩中:多くの人が「美術館では静かにするもの」という意識を前提として持っているけど、こうして白鳥さんと鑑賞会を行うと、いつのまにか参加者以外の人が「おもしろそう」とついてきて、聞くだけじゃなくて会話に入ってきたりします。「あれ、この人最初からいたっけ?」って(笑)。そこで楽しさを実感してくれて、「今度また喋りながら見てみます」と言われることも多々あります。そんなふうに、自然な形で広がっていくのもいいですね。
(text by 飛田 恵美子)