レクチャー&ワークショップ テーマ6「ろう文化」
2023年11月10日(金曜日)
- 日時:2023年8月6日(日) 13時30分〜15時30分
- 場所:東京都美術館 ロビー階第4公募展示室
- 講師:大杉 豊(筑波技術大学 教授)
- 手話通訳:新田 彩子、長谷川 美紀
目次
1)オープニング:「ろう文化」について学ぶ
2)レクチャー:ろう者のコミュニティ
3)レクチャー:ろう者の文化の考え方
4)実演:ろう者の文化としての肩叩きとアイコンタクト
5)レクチャー:時代により変化するろう者の生活様式
6)レクチャー:ろう者の表現 ろう者の描く4コマ漫画から
7)レクチャー:ろう者の表現 De’VIA(デビア)
8)ワーク:De’VIA(デビア)を実体験も交えて読み解く
9)振り返りとまとめ
1)オープニング:「ろう文化」について学ぶ
テーマ6「ろう文化」の講師は、筑波技術大学で聞こえない学生のキャリア教育、手話言語の歴史的な変化や地域的差異の研究を行う大杉豊先生です。
このレクチャー&ワークショップは、大杉先生の大学の授業を一般にひらくかたちでおこなわれ、履修している学生も参加しました。
筑波技術大学は、聴覚と視覚に障害がある学生のための高等教育機関として設立され、日本で最初に聴覚・視覚障害があることを入学条件にした国立大学です。
この日参加したのは、ろう・難聴の学生たちです。大杉先生は、普段は手話言語で講義をしています。学生たちの聞こえにくさの程度は各自それぞれであるため、会場にいろいろな音声が飛び交っていると、手話とその音声が混じってしまい授業の内容が一律に届けられなくなります。そうした状況を踏まえ、学生以外の手話がわからないレクチャー&ワークショップの参加者に対しては、音声での読み取り通訳を行わず、会場のモニターを通して講義の内容が字幕表示されました。また、字幕を映すモニターは学生たちには見えないような位置に配置され、文字で入る情報によって学生が混乱が生じないように配慮されていました。
2)レクチャー:ろう者のコミュニティ
レクチャーは、「ろう者の文化」という授業における、ろう・難聴者の社会参加についての講義として開催されました。
大杉:これまで学生の皆さんは「ろう者の文化」というテーマで勉強してきました。まずその内容を復習して、より深い内容を学んでいきたいと思います。ろう者の文化の定義には、「ろう者コミュニティにおいて手話言語を通して、習得され、共有され、伝達される行動様式ないし生活様式の体系である(参考:亀井 伸孝『手話の世界を訪ねよう』(岩波書店 岩波ジュニア新書 2009)」というものがあります。
ここに、ろう者のコミュニティのモデル図があります。1980年に米国の手話言語教育者が発表したモデルの図です。ろう者のグループは社会的、政治的、言語的、聴力的の4つのグループがあり、その円が重なり合った外側の形が「ろう者コミュニティ」となっています。
広義の場合、聞こえる人たちもこのコミュニティの中にいるという考え方です。家族にろうの親や子供がいたりする場合、また、ろう学校で教えている聞こえる先生、手話サークルに通っている人もこのコミュニティの一員ということになります。
一方で狭義の場合は、4つの円が重なっている真ん中の部分、自身の耳が聞こえず、ろう者の仲間がいて、手話を用いていて、さらにろう者として自分の生活のために各種の運動をしている人たち、ということになります。これが狭義のろう者コミュニティで、「ろう者の文化の源泉」です。真ん中から外側へと文化が広まっていきます。
3)レクチャー:ろう者の文化の考え方
大杉:例えば、ろう者は拍手をこのようにひらひらと手を振ってしますよね。40年ほど前は、この拍手のやり方はしていませんでした。拍手だと音がろう者にはわからないので、「手を上げてひらひらとさせる方法ではどうか」という案が出たことをきっかけにして、このやり方が広まった経緯があります。今ではろう者の文化としては当たり前になっています。
ただ、この東京都美術館の外で、隣にある動物園で遊んでいる人にこの拍手をやっても、コミュニティの外側にいる人には意味がわからないと思います。デフリンピックが2025年に東京で開催されることになりました。その時におそらく、この拍手の方法がこのコミュニティの外側にもどんどん広まっていくことが期待されます。
次に、文化の考え方についてです。一般的には文化には、言語、信条・価値観、行動規範、伝統、生活様式の5つがあります。言語はろう者の場合、手話言語と書き言葉ですね。信条・価値観は、ちょっと難しいと思うのですが、例えば皆さん、自分のことを何と言いますか? 自分は難聴者だと思う人、自分はろう者だと思う人、自分のことを聴覚障害者だと思う人、それぞれ挙手をお願いします。
大杉先生が、難聴者だと思うと手を挙げた1人に「それはどうして?」と聞くと、「ろう者だったら声を使わずに、手話で話をするイメージがある。そうではない自分は難聴者だと思う」と回答。次にろう者だと思うと手を挙げた学生は、「自分は話す時に自然に使うのが手話で、声も使わない。それが自分に合っているから自分はろう者だと思う」と答えていました。また、聴覚障害者だと思う人と言われて手を挙げた学生は、「自分は医学的に耳が聞こえないから、聴覚障害者だと思う」と言うなど、3通りの立場でそれぞれが思うことを伝えてくれました。
大杉:みんなの考えに対してこれは駄目ですとかいいですということは当然ありません。一人ひとり自分に対する見方・考え方というものがあって当たり前です。反対に少し心配するのは、私は何だろうと迷っている人です。そういう人がいると、少し支援をしたくなります。なぜなら、それが揺らいだままだと社会に出た時に壁にぶち当たってしまうと思うのです。卒業するまでに、自分のアイデンティティ、「自分は誰なのか」ということが言語化できているといいなと思います。
もちろん、ろう者の中にもいろんな人がいて、様々なアイデンティティがあります。でも、様々なアイデンティティに関係なく、みんな「目で見ることが大事」ということは共通していますよね。見ることで、いろいろなことを知ることができる。聴力が残っていても、やはり視覚の情報で補足して初めてコミュニケーションをとることができるということは、皆さんわかっていると思います。
4)実演:ろう者の文化としての肩叩きとアイコンタクト
大杉:日本人が暗黙の了解で共有していることといえば、エスカレーターが良い例であると思います。東京では右側を歩くけれども、大阪に行ってみるとどうでしょうか。それが反対になりますよね。誰が決めたのかはわかりませんが、それぞれが当たり前のように、自然に身に付いているものです。
聞こえない人にとっても、それと同じようなことに、肩を叩く行為があります。これを分析していきたいと思います。肩をトントンと叩くのは、ろう者の文化の例として有名になっていますが、これは生活慣習なのか、文化なのか、少し注意するべきだと思います。なぜかというと、耳が聞こえない人を呼んでも気づかないので、肩を叩くというのは当然のことですよね。これ自体は文化ではないのですが、この「トントン」という叩き方や度合いが、自然にルール化していると思うのです。
そう言って大杉先生は学生の一人を前に呼び、3種類の叩き方を実演します。まずは肩を手のひらでトントンと2回叩く方法。学生はうんうんとうなずいています。「じゃあちょっと他の方法をしてみます」と言って先生は、「トン!」と少し強めに一回だけ肩を叩いたり、両肩同時につかむように「ぽん」と押さえたりしました。学生は、少し困ったような表情で笑っています。
大杉:いつもと違うのでびっくりしますよね。トントンの方がスムーズで、それが習慣になっています。みんな幼少期から何回もこの肩叩きを経験しているからです。これまでの経験の中で関わりが出てくる、これもろう文化の一つです。肩叩きのほかにも拍手、アイコンタクトなどがあります。
先生は前の方へ学生2人に出てきてもらいました。そして2人に会話をしてもらいます。大杉先生は、1人の背後から手をひらひらと振って向かい側にいる学生を呼び、その時の反応を見ます。呼ばれた方は、さっと話している相手の話を止めて、大杉先生の方を見て「何ですか?」と返します。
大杉:いまのように、会話をしている時に他の人から呼ばれた場合、まず「ちょっと待って」と話している相手に伝えて会話を止めます。相手に待っていてもらって、呼んだ人に「何ですか?」と要件を聞きますよね。その内容によって対応を判断し、また会話に戻る方法です。これは、ろう者にとっては相手に対して失礼ではないやり方です。でも、聞こえる人たちの学校に通っていたからこのやり方がわからないという生徒もいます。聞こえる人の文化の中に長くいた人にとって、こうしたルールは、教えてもらう必要があるかもしれません。アイコンタクトというのはろう者にとって非常に役立ち、重要なものです。ほかにもドアの開け閉めで、それぞれに意味を伝えるろう者のルールもあります。開けている時は、いつでも入ってOKというような意思表示です。
食事の時の会話についても、私が思うに、聞こえる人は口をもぐもぐさせながら話すっていうことはないように思います。でもろう者は、食べ物を口の中に入れても手話で話しますよね。これは聞こえる人から少しマナー違反のように見えるかもしれませんが、ろう者にとってはいつものことです。お箸を持ちながら、こんなふうに(片手で手話で)話しますよね。
ろう者のやり方に、あるパターンができてそれが文化になっていったのかという線引きが微妙で曖昧なところも多く、きちんと分析して調べていかなくてはいけないところだと思います。卒業研究の題材にも適していると思いますよ。
5)レクチャー:時代により変化するろう者の生活様式
大杉:伝統という面では、手話劇やろう学校、デフリンピックといったものがあります。生活様式(生活慣習)についてはどうでしょうか。私は小さい頃からの習慣で、いつもメモを持ち歩いています。みんなはどうですか? 常にメモ帳とペンを使って筆談をする人は、最近はあまりいないですかね。代わりに若い人はみんなスマホだけという人が多いのではないでしょうか。
朝起きる方法はどうしていますか? 振動式の時計や明かり、友達に起こしてもらうなどの方法があると思います。昔は振動式の機器がなかったので、私ぐらいの年齢のろう者の場合、多かったのが電源タイマーを電気スタンドにつないでおいて、明かりがついて目が覚めるとか、タイマーをセットした扇風機の風で目覚めるという方法です。マッサージ器を枕の下に仕込んでおいて、その振動で目を覚ます人も多かったです。
カーテンを開けておいたままにして、朝日で自然と目が覚めるという方法もありますね。ですが、曇りや雨の日はこの方法だとちょっと危ないです。私はまた違った方法をとっています。寝る前に水を飲んでおくという方法です。コップ一杯分飲んでおくと、6時間後に目が覚めます。コップ2杯分飲んでおくと、3時間後に目が覚めます。冗談みたいな感じですけど、もうそういう身体になっているんですね。この方法は現在も続いています。今、「水3杯飲んだ場合はどうなりますか」っていう質問が来ました。多分1時間ぐらいで目が覚めちゃうんじゃないですかね。それか、むしろ失敗してしまうということになると思います(笑)
6)レクチャー:ろう者の表現 ろう者の描く4コマ漫画から
大杉:講義が始まる前に学生の皆さんには、隣の部屋に展示している坂口 環さんの4コマ漫画を見て、50作品ある中で共感する作品10個にチェックをしてきてもらいました。坂口さんはろう者で、岡山県のろう者協会の機関紙に漫画を34年間掲載し続けています。漫画には、ろう者の日常が描かれています。これを踏まえて、いまからグループで話してもらいます。
学生たちは6名ほどのグループに分かれ、自分が選んだ10作品を紹介し合いながら、グループの中での票の多かったベスト5を選び、それについて話し合っていきます。各チームの代表は前に出て、選んだベスト5の作品について発表しました。「選んだのは文化の違いについての作品です。手話で兄と表現する(中指を立てる)時には、ろう者同士では問題ないのですが、聞こえる人から見る時や、海外に行く時には特に注意が必要になると話しました」「お釣りの話は、後ろから『お釣り忘れましたよ』と声をかけられても気づけないというあるあるで、ずっとついてこられる経験がある人もたくさんいると思います」など、自分たちの生活や経験と紐付けたエピソードが出ていました。
大杉:「江戸時代の筆談」というタイトルのものは、江戸時代に1人のろう者と聞こえる侍が出会うのですが、聞こえる人が話しかけるとろう者が「筆談でお願いできますか?」というので、墨を擦り始まるところから始めるというものです。きっと皆さんもこれを見て笑ったと思うんですよね。墨を擦ってさぁ筆談をしましょうと思ったら、もうそのろう者はいないというオチでした。
この坂口さんという方は、先ほど紹介したろう者のコミュニティの4つの円が重なるところにいる人です。ろう者の生活の中でのあるあるを描く目的というのは、良い面だけではなく、聞こえる人から見て、「あれはどうしてなんだろう?」という違いを理解してもらうことも含めて、この漫画を描き続け発信されています。そして見る人が増えていく。その広がりは、ろう者の文化の発信につながると思います。
7)レクチャー:ろう者の表現 De’VIA(デビア)
大杉:次は、De’VIA(デビア)という新しい概念を紹介したいと思います。7月29日(土)に講堂で行われたトークセッション2の「ろう者による表現」でも詳しい説明がありましたが、De’VIAはろう者としての経験を表現した芸術のことを言います。ろう者のコミュニティの中にある様々な歴史や考え方と関わりがあるものです。
先ほどの4コマ漫画の中の数本の作品は、De’VIAの考え方が合うものだったと思います。作品を見ただけでは、ろう者が作ったのか、聞こえる人が作ったのかっていうのはわかりません。ですが、説明文を読んだりいろいろな話を聞いたりすることで、これはろう者が作ったものなんだということがわかると思います。
例えば昔は学校で手話を使うということが禁じられていました。そういった思いを表すために、手が拘束されていて、切断されている絵画といった作品があります。また。ネガティブなものだけではなく、手話を取り入れ理解を広げたいという思いが含まれた作品もあります。「ろう者」ということを強く出しているものもあれば、社会に対して、もっと「ろう者のことを理解してほしい」という願いが込められている作品もあります。
最近のものですと、アメリカのワシントンDCにあるカフェの壁画に、Deaf=ろう者と表した指文字の真ん中にアメリカの手話で「コミュニティ」を意味する手の表現が描かれています。聞こえる人だけではなくろう者も含めて、みんなが集い過ごせる場にしようという、開かれた気持ちが表されています。特にアメリカではDe’VIAには様々なものがあります。
そして大杉先生は、本展示に出展している漆画作家の濵田 慎一郎さんの言葉を紹介しました。「私は耳が聞こえません。これまで言葉では表せないほどの苦労がありましたが、沢山の苦難や困難は、蒔絵の高度な技術を習得する原動力になりました」。同じく写真家の齋藤 陽道さんの「手話を受け継ぐ1人として、作品を作り続けていきたい。それがかつての僕のように、いつか手話に救われる人のためになると信じています」という言葉も紹介しました。
8)ワーク:De’VIA(デビア)を実体験も交えて読み解く
ここで、大杉先生は1枚のスライドを表示します。アイスランドのろう者の作品です。交差した手の片手には笑っているような人の顔が、もう一方には耳が描かれています。「これを見て描いた人がどのような経験を経てきたのか。この絵柄が表すものや象徴しているものは何なのか、グループでディスカッションしてもらいたいと思います」と先生。
学生たちはグループごとに手話で活発に話しながら、意見を交換し合いました。ディスカッションが終わった学生からは、「仕事関係の人たちとのコミュニケーションがとれないというところで、ろう者と聞こえる人がすれ違っている様子を表しているのではないか。何を言っているかわからないけれど、とりあえず笑っておこうというような表情が出ている絵だと思います」「手が交差しているのは、手話を使って欲しいという意味合いがあるのではないか」「聞こえない人と聞こえる人が、お互いに話し合いの場を持とうというような印象を受けました。一方で、ちょっと怖い雰囲気で会話がきちんとできていないというような表現にも見えて、意見が二つに分かれました」など様々な視点からの考察が飛び交いました。
大杉:いろいろな見方がありました。もちろん正解があるわけではありません。大事なことは、今こうして話し合いができたということです。いろいろな意見を交換することができたということ、これはやはり、作者がどのような気持ちで描いたかという、気持ちに通じるものを同じ聞こえない皆さんが持っているからだと思います。
9)振り返りとまとめ
最後に、大杉先生から授業のまとめがありました。
大杉:ろう者が手話言語を通して共有する、知識や経験の集合体としてのろう者の文化。それはろう者コミュニティを社会から隔離させるためではなく、ろう者一人ひとりが社会に参加していく中で、自身の精神的な拠り所となるものです。自身のあり方に目覚めるとともに、聞こえる人に自分のことを説明するためのツールとなるものだと思います。
ある意味では皆さんの精神を落ち着かせる薬のような存在とも言えるかもしれません。このサマーセッションの初日には、「文化的『社会的処方』と共創の場」というタイトルのセッションがありました。新しい考え方として、人間が高齢化や社会からの疎外など、様々な意味で孤立した時に、医学的な面で言えば、薬を処方するということがありますが、そうではなく、精神的なものに対する処方として、文化芸術があるのではないかというお話でした。
ろう者にとっての文化芸術もその一つだと思います。何か壁にぶち当たって苦しい時に、こういった文化芸術というものが支えになると思います。それでは、公開授業は終了となります。お疲れ様でした。
講義終了後も会場に残って手話でおしゃべりをする学生たち。これもいつもの学校での様子でしょうか。一方、レクチャー&ワークショップに参加した人たちにとっては、ふだん目にすることがない手話での授業を参観しながら、同時にろう文化を学び知る2時間となりました。音のない世界で字幕や手話をずっと「見る」体験もまた、身体感覚を伴う貴重な機会になったのではないかと思います。
(text by 平原 礼奈)