クリエイティブ・ウェルビーイング・トーキョー だれもが文化でつながるプロジェクト

トークセッション2「ろう者による表現」

2023年11月10日(金曜日)

  • だれもが文化でつながるサマーセッション2023
トークセッション2の様子の写真
  • 日時:2023729日(土) 15時30分〜17時00
  • 場所:東京都美術館 講堂
  • 登壇者:根本 和徳(特別支援学校教員、めとてラボ全体統括)、西 雄也(デフアート研究者)
  • モデレーター:管野 奈津美(Re; Signing Project代表)
  • 手話通訳:小松 智美、戸井 有希、山田 泰伸

ろう者の言語と身体性:管野 奈津美

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▲菅野 奈津美さん

管野:このセッションのテーマは「ろう者による表現」です。皆さんはどのようなものを想像されるでしょうか。手話、あるいはろう者の演劇、映画、パフォーマンスなど、その表現方法は多岐に渡ります。

その中で、ろう者の手話という言語、そして身体性がどのように表現と結びついていくのかについて、お話を聞いていきたいと思います。まず、西さんに、デフアートの様々な動きや取り組みを紹介していただきます。次に根本さんに、ろう者と聞こえる人たちの空間のあり方や、目と手を使った「めとてラボ」についてお話しいただきたいと思います。

ろう者の芸術「Deaf Art(デフアート)」とろう者の経験を表現する「DeʼVIA(デビア)」:西 雄也

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▲西 雄也さん

西:Deaf Art(デフアート)とDeʼVIA(デビア)についてお話ししたいと思います。デフアートを日本語に訳すと、「ろう者の芸術」という意味になります。ろう者が制作・創造した彫刻や絵画、写真、動画などの芸術作品のことを言います。

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一方でDeʼVIAは、「⽂化的、⾔語的、交差的な視点からろう者の経験を検証し、表現する芸術」です。たとえばろう者が花や建物、風景の絵を描いた作品はデフアートですが、De’VIAとは異なるものです。De’VIAはろう者の体験やアイデンティティを表します。それはまた、聞こえる人の文化との違いを表すものでもあります。

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DeʼVIA はDeaf(ろう者)、View(視覚)、Image(イメージ・想像)、Art(芸術)の頭文字をとっており、手話ではこのように表します(片手の手のひらを相手に向け、薬指のみを曲げる表現)。この言葉が生まれた背景には、これまでろう者が創作した作品自体はありつつも、その体験やアイデンティティが表現されたものがあまりなかったという状況がありました。

デフアート運動からDeʼVIA、シューディズムの芽生え

ここで、デフアート運動の歴史について触れたいと思います。かつてアメリカでも日本と同様に、手話に対して手まねだとか、見た目が悪いといった偏見がありました。そこで「⼿話表現法」の挿絵が創作され、少しずつ社会の中に手話が浸透し、理解がなされていきました。1975年から1980年頃のことです。

その後1989年に、ろうの活動家や画家、ろう学校で美術を教える先生が集まり、「ろう者の経験を反映した作品をつくる必要がある」と訴え、DeʼVIAが生まれました。ろう者、聴覚障害者というとかわいそうと言われがちな中、そうではなく対等であることを示すためでもあります。

2009年には、ろう運動を行うsurdism(シューディズム)という言葉が生まれました。Surdo(シュード)というのはフランス語でろう者という意味なのですが、そこに主義という言葉のISMが組み合わさっています。盲ろう者の芸術活動をしているフランス人が提唱し、「演劇、⽂学、映画、視覚芸術を通じてろう者を表現するための創造性を刺激しながら、オーディズムのような偏⾒を糾弾する、ポジティブで建設的、戦闘的、包括的な哲学を持つ国際的な集団運動である」という考えを表しています。

De’VIAの表現事例から

「ろう者は何もできない、喋れない」と言われた時代がありました。ろう学校では手話が禁じられ、口話教育による抑圧の時代がありました。『アメリカ手話の禁止』(ベティ・ミラー)という作品は、鎖でつながれた両手が描かれ、その指は切断されている、非常に痛々しい絵です。『We Came, We Saw, We Conquered』(ナンシー・ローク)という作品は、フランス革命のイメージというと伝わりやすいかもしれません。絵画の左側には手話を抑圧された人々が、右側には手話で表現することを勝ち取った人々が描かれています。

このような、ろう者の経験を反映した芸術表現がDe’VIAです。De’VIAには、社会やシステムからの抑圧、⼿話とデフコミュニティによるアイデンティティの蓄積、フィーリングなどが表されています。

様々な表現方法があるDe’VIAですが、その中でもよく見る4つのモチーフがあります。耳、目、口、手(手話)です。たとえば、赤い髪の女性の絵があるのですが、口元から下に青い線が伸びています。聴者であれば自然に音声言語、発音等を身につけられますが、ろう者の場合は紙を用いたり、舌の位置を確認したりする厳しい口話訓練が必要です。それが青い線で表れているのです。また、人の顔の目にあたる部分が耳になっている絵もあります。聴者は耳から情報を得ますが、ろう者の場合は目から情報を得るので、目と耳が同様の意味を持つということを表しています。

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いくつかの作品を紹介しましたが、De’VIAを見たことがない方が多いと思います。これまで描かれた作品があったとしても、なかなか世には出てこなかったんですね。世界各国のデフアートを調べてみると、日本も含めてDe’VIAと呼べるものが実は様々にあるんです。

デフアート、De’VIAと教育現場

De’VIAが現在のろう教育の中でどのような効果を持つのか、お話ししたいと思います。まず言えるのは、ろう者としてのアイデンティティが曖昧な人が、De’VIAの表現を通じてろう者の文化や生き方、気持ちを知ることができるということです。ろう者の苦しみを吐露したい、言語化したいけれどもなかなか難しいときに、De’VIAを通してろう者の歴史や問題を学ぶことも可能になります。

ろう学校で生徒たちにDe’VIA作品を見せたときに、多くの共感を得たのが『Family dog (飼い⽝)』(スーザン・デュポア)という作品でした。犬のように寝そべったろう者の後ろに、顔がぼやけて表情が見えない聴者たちの姿があります。聴者同士で話しているとき、会話の内容を知ることができず、飼い犬のようにただ待っているだけで寂しい気持ちになる、というものです。

つながりが社会に存在すること

アメリカのろう学校では、ろう者のアイデンティティをそのまま作品につなげていく様々なDe’VIAが作られています。ギャローデット大学という、各国のろう者が集まるアメリカの大学でも、De’VIAを深く学ぶことができます。

大学の近くにスターバックスコーヒーがあるのですが、そこでは手話で注文をすることができます。手話ができなければ、筆談もしくは指差しでコミュニケーションをとることができるカフェです。店内にはデフアートもあり、アートを通して手話やDe’VIAを知ることができます。

日本の国立にも同様のスターバックスコーヒーの店舗ができて、そこでは手話や筆談、指差し、身振りで注文をします。CODA(コーダ:聞こえない親を持つ子)の作品も展示されています。こうしたつながりが社会に存在すると、ろう者だけではなく聴者にとっての視野も広がるのではないでしょうか。続いて根本さんにも、ろう者の文化から広がる表現についてお話ししてもらいたいと思います。ありがとうございました。

誰もが「わたし」を起点にできる共創の場を:根本 和徳

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▲根本 和徳さん

根本:「わたし」って、それぞれお持ちですよね。「わたし」であること。当たり前すぎて、今更何だろうと感じるかもしれません。

私はろう者で、両親もろう者なので、家の中では手話で話します。一歩外に出ると、いろいろな音が飛び交い、文字や音声が中心の世界になります。このとき、両方の場にいる私は同じ「わたし」なのですが、何かが違う。違和感があります。外での音声言語や文字の中にはない、目と手の中でこそ生まれる何かがあります。

そこで、「0から、めとてでうまれる自然な文化を耕していく」ための創造拠点として「めとてラボ」を作りました。その取り組みをご紹介します。

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集うことから言語・文化がうまれる

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ろう者が社会の中で様々な不安を抱えてしまうときに、目と手から出る手話を安心して繰り出すことができる「HOME」のような公共の場所をつくることを、「めとてラボ」は目指しています。

たとえば子どもが生まれて耳が聞こえないことがわかり、親御さんが手話を覚えて手話でコミュニケーションをとろうとするとき。友達の家にろう者がいて、遊びに行ってみると手話が飛び交っていたとき。また、ろう学校で友達と手話で話したり、ろう者のコミュニティに参加したりして、自分もあんなふうに手話で表現してみようと技術を磨いていくとき。家、学校、コミュニティなど、人が集まる中から文化が生まれてきます。

でも、形のないイメージだけではわかりにくいですよね。それをどうにかして残していこうと、様々なことをここで話し合い、どんどん新しいことをしていこうと企画を考え実験しています。まず、目と手から出る手話を、とにかく自由に出します。それを見た人がどう思うのか、伝わるのかわからないのか、聴者も一緒になって議論していきます。ろう者だけが集まるのではなく、そこからさらに開いていくために、異なる身体性や感覚、思考を持つ人たちが出会い、交流を重ねながら「HOME」を作っていく。その中から文化を醸成していこうとしています。

「めとてラボ」の柱になるもの

「めとてラボ」ではいくつかの事業を推進しているのですが、二つの大きな柱があります。

一つ目は、見える化するという意味で、「Deaf Space(デフスペース)」です。1階と2階にいても全体が見渡せて手話で話せる家のように、ろう者にとって心地よい空間があります。話すときは輪になると目線を合わせやすいというのもそうです。でも、もしかしたらそれは、聴者にとってもほっとできる空間になるのかもしれない。対話を重ねながらそのイメージを膨らませていきます。

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二つ目は「archive(アーカイブ)」です。これはどちらかというと目には見えない部分です。ろう者の生活の中にあった大切なもの、たとえばアイデンティティや自分が自分として生きてきたことを、丁寧に一つひとつ残していく。それを見てもらって、見た人がどう思うのか、対話を重ねていきます。バラバラになっていた過去のものも含めて統合させていくような、文化形成の起点となるものだと捉えています。

ほかにも、社会が更新され続ける中で全体に接続するためのつなぎ方を研究する「つなぐラボ」や、全国に赴き旗を立て、共感を起点に仲間をつくる「リサーチ」、美術館や施設と連携してアクセシビリティを共に考える「美術館連携」などの事業も進めています。

これらはそれぞれが独立しているわけではなくて、交わっている部分があります。その全体を「めとてラボ」として、文化として、ここから醸成されていくものを皆さんにも見ていただきたいです。一緒に考えていけたらと思っています。

活動事例から

昨年の活動をご紹介します。私は福島出身なのですが、みんなで福島の美術館に行きました。そこでどのようにアーカイブをしているかのお話をうかがったり、コミュニティスペースを考える場所に行き設立の経緯を聞いたり、また、ろう者がよく集まるお宅にも伺いました。手話が飛び交っていて、「手や空間がうるさい」という状況を、ろう者も聴者も一緒に体感する機会をつくりました。

愛知では、放課後等デイサービスから生活介護、高齢者の介護まで幅広い事業を行うNPO法人へのヒアリングをしました。街を歩いていると、芸術が溢れ溶け込んでいるんですね。歩きながら自分の体がどんどんその影響を受けるのを体感しました。手話でも何かできるのではないか、と着想を得ることができました。

先ほどの大きな柱の中の「アーカイブ」では、ホームビデオの上映会を行いました。両親もお子さんもろう者というデフファミリーの、昭和の時代の映像が残っていたんです。当時、学校では手話が禁止され、厳しい口話教育がなされた時代です。そのため、両親がろう者であっても家の中で口話訓練をしていたんです。こんな時代だったんだというのを実感することができました。見た後にみんなで対話することも合わせて、一つの上映会企画としてやったのですが、いろいろな発見があったので、今後も続けていきたいと思っています。

ろう者の表現を捉え直し対話する

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管野:ラウンドトークに入りたいと思います。座る位置を調整しましょうか。観客席にいる皆さんからも、私たちの手話がご覧いただけますか? 少し体を傾けます。今、このように座る位置を調整したのには訳があります。根本さんの「Deaf Space」のお話にもありましたが、ろう者は手話を使って、お互いを見て対話します。なので、ろう者が集まると自然と円座になることがよくあります。遠からず、近からずの適した距離感があるんですね。今回は皆さんにも手話を見ていただくために、体の向きも調整しました。

お二人の講演を見て、表現には様々なものがあることがわかりました。口話教育や、言語権の保障の問題のお話もありました。ろう者と手話、教育の関係についてご存知ない方もいらっしゃると思うので、少し補足をします。私たちが子どもの頃は、ろう学校の中でも手話が禁止されていました。大きくなって音声言語が優位の社会に参加するときに困らないように、まずは発音の訓練を熱心にする。そのために手話を禁止するという教育の流れがありました。教育の中で手話が認められるようになったのは、15年ほど前です。全国でも少しずつ手話が取り入れられるようになりました。また、聞こえない人の中で、手話を身につけている方々って実は大勢ではないんですね。補聴システムの進歩もあり、人工内耳の手術をされる方もいらっしゃいますし、聴能訓練を優先される方もいらっしゃいます。手話を教育の中で使って習得した方は、意外と一部だったりするという背景があります。

ここからは質問をしていきます。まず根本さん、「めとてラボ」では自然な文化の醸成を目標とされているとありました。この自然というのは、具体的にどのようなことでしょうか。

根本:自分自身のことをお話ししますと、自然と聞いてまず頭の中に浮かんでくるのが映像なんですね。そのときに感じた、目で見ている現実です。皆さんにとっては耳からどんどん音が入ってくる、目にはどんどん文字が入ってきて、それぞれがリンクして自然なのかもしれません。でも私の場合は、家の中で手話でやりとりするのは非常に自然なことなのですが、一歩外に出ると、文字や音声が飛び交って、口がパクパクと動いている。情報を無理やりリンクさせていく形になり、自然ではないということです。

西:家にいるときは、手話を見てコミュニケーションすることが当たり前だけれど、一歩外に出たら違う。たとえば外国に行ったような感じですよね。

管野:西さんはDe’VIA(デビア)のお話で、ろう者の経験を表現するとおっしゃいました。以前、私もアメリカに留学した際、西さんもお話しされた、ギャローデット大学に行きました。第一言語が手話で、手話で授業がされていました。1989年頃に学長交代運動というものがあって、それまでは代々聴者の学長だったのですが、運動を経てろう者の学長が誕生しました。こうしたろう者の権利または言語の権利に関する運動が様々に起きた中で、デフアートの表現についても、どうしていけばよいのかという流れに移っていったように思います。

西:これまでも男女差別の問題であったり、Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)の問題だったり、それぞれの問題に対して適した表し方があったと思います。曖昧にせずに、どのように表現するか。それを、運動経験や行動を通して、文化も含めてアートを介して表していったのだと思います。

管野:ろう者の文化を発信するために、アートをツールとして使うイメージですね。

西:そうですね。発信に加えて、アートで表していくことは、気持ちを伝えることにもつながります。苦しみや抑圧からの生き方など様々な経験を見ることによって、自分の視野も開いていくことができると思うんです。これは、人生を生きる糧にもなると思います。

管野:先ほど根本さんは、記憶に関する映像のお話しをしてくださったのですが、もう少し具体的にお聞きしたいと思います。

根本:今日は暑いですよね、もわっとしていますよね。日本語では、暑いという言葉にも、猛暑とか、雨が降って蒸し暑いなど、いろいろあります。それを日本語だけで捉えても、ぱっと思いつかないんです。でも、モコモコの服を着て暑そうな人がいるとか、雨でベトベトしているような様子を見ると、映像として頭の中に浮かんできます。それと同じで、画が浮かんでいるから、手話となって自分の体から出てくるという感じです。おそらく、自分が暑いということを手話で表したら、手話のわからない聴者の方にも伝わるのではないかと思います。映像的な記憶との関連が、音声だとただ流れてしまいますが、手話だといろいろな意味を含めて表すことができるということです。

管野:手話を見れば状況がつかめますよね。たとえばろう者の対話の仕方の一例ですが、食べながら手話で話すことができます。聞こえる人の場合は食べながら喋ることができないので、一旦食べてそれを飲んでから喋りますよね。ろう者の場合には、やりながらができるんです。そうした違いが、文化や身体性の違いとしてあると思います。そんな手話による記憶、または身体の記憶というものを、ろう者同士でもこれまでなかなか話し合うことがなかったなと思います。

根本:そうですよね。さらに言うと、ろう者だから、だけではないと思うんです。聴者も目で捉えて、体の中に溜まっているものがあると思います。でも、声や文字で済ませることが多いので、それを出したり使ったりする機会がなく、気づいていない。ろう者の場合は、それが日常にあります。今まで意識していなかったけれども、こういうものがあるんだと出し合って、みんなで対話できることが必要ではないかなと思います。

管野:先日Re; Signing Project(リ サイニングプロジェクト)で、当事者視点で身体や感覚を捉え直す「 〜 視覚で世界を捉えるひとびと」という展覧会を行いました。聞こえる方たちにもたくさんお越しいただいたのですが、「今まで自分が聞こえることをあまり意識してこなかったけれど、様々な作品を見て、自分が聞こえるんだということを再発見した」とか、「自分は声で話す人なんだということに気づいた」とおっしゃっていたんです。ろう者の出ている作品を見て、「懐かしい感じがした」と話す方もいました。その懐かしさはどこから来るのだろう。つまり、言語も身体性も違うんだけれども、聞こえに関係なく共通する感覚があるのではないかと思いました。

根本:違うもの同士ってちょっと怖いなって思ってしまう部分がありますよね。そんなときに、アートが使えると思うんです。実際に会って、お互いに知り合うときに、アートによって近づくことができた、とそういうことではないかなと思います。

管野:そうですね、アートでつながった感じです。先ほどの「懐かしい」ということに絡めて、根本さんからホームビデオの鑑賞会が紹介されました。自分の経験がどのようなものだったのかを見つめ直し再構築することは、これまで見えなかったろう者の生活や文化を捉え直し語るというデフアートにおいても共通していると思いました。

根本:ホームビデオは、家族全員がろう者のデフファミリーの映像だったけれども、口話教育の時代で家の中で口話訓練をしていました。でも、何か笑っていたんですね。口話を家の中でやって、「できてない」「下手くそ」と言って笑っていたんです。新しい感覚でした。口話は悪いもの、つらいものだと思い込んでいた自分の中にあった硬いものが丸くなって、見方が変わっていくような体験でした。家の中だからこそ出せる表情があったのだなと。それを改めて見直して、良い悪いではなくありのままを受け止めて、どんなふうに思ったか対話していくことが大切だと感じています。

管野:見方の変化ですよね。非常に興味深いお話です。改めてろう者が集い、手話で語り合うことが重要だと思いました。2025年にデフリンピックが東京で開催されますが、ろう者の目で見て捉える社会というものを、どのように表現していけばいいでしょうか。

西:経験を通して、一つひとついろいろな場所で積み重ね発信していくことだと思います。メディアも通じて発信できれば大きな変化につながっていくと思います。

根本:ろう者や聴者、通訳などいろんな人が集まると、ずれも出てくると思います。通訳の数をもっと増やさないといけないとか、予算の関係とか、いろいろな問題があると思うのですが、まずは集まる数や時間を増やしていくこと。それを積み重ねていく必要があると思います。

管野:ろう者の表現についてお話ししてきました。アプローチは違うのですが、共通するところもあったと思います。

根本:共通点といえば、目で生きる人々だと思います。そしてそれはろう者だけではなくて、聴者の中にもいるはずです。もっと仲間を増やして、発展させていけたらと思います。

西:絵であったり、体験であったり、表現をしていくことだと思います。聴者の場合でも、生活の中で周りがうるさいときには身振りで表すこともあります。外国の人と会ったときに、指差しでコミュニケーションをしたりします。そういった小さな発見が、文化の違いの発見につながっていきます。今日をきっかけに、ろう者の表現とは何なのか、ここにいる皆さんも考え広めていただければ嬉しいです。

管野:それぞれの活動や対話を通して、手話、そしてろう者の表現を捉え直す場を作るということ。聞こえる皆さんも一緒に参加できる場をつくるその延長線で、ろう者の表現もさらに幅広くなるのではないかと思います。引き続き考えたいと思います。ご協力よろしくお願いいたします。

text by 平原 礼奈)