令和7年度「芸術文化分野の手話通訳研修プログラム」レポート1
令和7年度芸術文化分野の手話通訳研修(主催:東京都、アーツカウンシル東京)が始まりました。
この研修は、昨年度に続き、芸術文化のプログラムや美術館・博物館、ホール・劇場を会場とするプログラムの情報保障の場面やろう者との協働の場面で活躍する手話通訳者を育成するため、実施するものです。
芸術文化の現場で活動中あるいは活動を希望している通訳者を対象として、芸術文化分野で活躍されているろう者やろう者と共に活動する制作現場の方、コーディネータをゲスト講師にお招きして学ぶ実践的な講義と、本年度研修の監修者で手話通訳者の教育に長年携わってきた飯泉菜穂子氏と東京大学非常勤講師の小林信恵氏による通訳技術の講義・実技検証で構成されています。
プログラムは昨年度と同様、全8回ですが、今年は秋にデフリンピックを控えていることもあり、6月から8月までの短期間に集中して行われます。毎回午前2時間、午後2時間の計4時間、途中に適宜短い休憩を挟むものの、議論やワークショップも多く、集中力を保ち続ける必要があります。帰宅後には宿題に取り組まねばならないハードな内容となっています。
受講生は手話通訳士の資格または同程度の能力を持ち、 さらに芸術文化分野への興味関心を持つ皆さんです。そして今年は、運営側スタッフにむけた通訳を、手話で行われる講座の読取り通訳に昨年度の受講生(ここでは修了生とよびます)の希望者が入れ替わりで担当します。芸術文化分野の通訳の実践とともに、修了生がペアを組む手話通訳者は、経験豊富な第一線の通訳者ばかりなので、その優れた通訳技術を通訳業務を通して学ぶことができるという機会にもなっています。
この研修プログラム開催は、都内の文化施設や文化事業での情報保障としての手話通訳の場面、たとえば、展覧会の手話付きギャラリートーク、講座・シンポジウム、舞台公演の手話による事前説明会、また、手話話者の方が企画や運営に参画、稽古、撮影に参加等が挙げられますが、このような場面がこれからますます増えていく社会の状況を支えるものとして昨年度から始まりました。今年度は2年目となります。プログラムでは何が伝えられたのか、受講生は何を学び取ったのかを第8回までレポートします。
第1回:令和7年6月21日(土曜日)
午前
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研修の目的、研修運営体制の説明/駒井由理子(アーツカウンシル東京事業調整担当課長)
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受講生自己紹介3分間スピーチ
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選考総括・研修スケジュール説明/
飯泉菜穂子(手話通訳士、手話通訳技能研修講師)・小林信恵(東京大学非常勤講師)
午後
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短文読取りワークショップ/飯泉菜穂子
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予習課題の提示/飯泉菜穂子
第1回目、アーツカウンシル東京の会議室に受講生、監修者、スタッフが初めて一堂に会しました。
冒頭、開講にあたって、この研修の主催であるアーツカウンシル東京、都立の文化施設の全体像と、文化施設での手話通訳の場面について説明がありました。施設の運営側や演者、スタッフに手話話者が一人でもいらっしゃれば、事前打ち合わせや稽古などに手話通訳は不可欠であり、そうした場で活躍できる手話通訳者を増やすことで、聴覚障害のある方が文化施設にアプローチしやすくなる。そうすることで、より多くの人に文化芸術分野に参画してほしいという研修の目的についても改めて話しました。
受講生の自己紹介。全員が、それぞれ3分ずつ、(1)芸術文化に特化した手話通訳研修を志望した理由、(2)興味のあるアートのジャンル、(3)アートに関連した手話通訳の経験を話しました。みなさん、語り手は3分の枠をフルに使って語り、聞き手は目を輝かせて話に聴き入っていました。よそよそしかった雰囲気が一気に和み、同期生としての意識が生まれつつある時間となりました。
続いて、一次・二次選考評価ポイントのフィードバックを行いました。飯泉氏から、一次選考の自己課題文や申込書についてどんな点をチェックしたのか詳細な解説がありました。手話通訳者は資料を読み込むための力量が必要であり、その大前提として、文章を書き慣れているか、読み慣れているか。また、自身の考えをどう言語化するか、それがきちんと相手に「伝わる」ように書かれているか、という手話通訳者にとって重要な点を評価したとのことでした。二次選考の手話面接では、日本手話のネイティブサイナーと過不足なくコミュニケーションをとれるかが判断ポイントであったことが示されました。
次に、小林氏から、手話での会話は日本語とは異なり、質問→答え→質問→答え…と短く細かいやり取りを重ねることで理解を深める言語スタイルであり、その上で、手話話者が「言っていること(手話)がわからない」という表情をした時は、流すことなく、そのつど確認しながら進めるべきと説明がありました。また、その場や対象者に合わせて運用できるような手話の「幅」を広げることが大事で、そのためにはまず母語である日本語の幅を広げる力を養うべき、というお話に、受講生は大きく頷いていました。
午後はもうさっそく、短文の読み取り素材を用いた再構成ワークショップです。短い動画を見た後、グループに分かれ、動画で手話話者がどんな話をしていたのかを、短文で時系列に書き出してみる、というものです。手話話者の手指の動きを一つとして見逃すまいと、全員が真剣な眼差しで食い入るように画面を見つめます。10分間のグループワークでは、静かに鉛筆を走らせたり、確認を取るように仲間と話し合ったり。各チームの発表が行われ、そして再度動画を見直す、という流れで進められました。みなで知恵を出し合いながら見ると、見えなかったものが見えてくる、わかってくる。100回見たら100回新たに見えることがある。見えるようになるまで見る、そういう訓練が大切であるという飯泉氏のお話に、受講生は大きな学びを得たようです。
時間になってホッとしたのも束の間、最後に、明日までの宿題が渡されて、第1回目が終了となりました。
第2回:令和7年6月22日(日曜日)
午前
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短文聞取り表現検証/寺澤英弥(ろう通訳者)・飯泉菜穂子、小林信恵
午後
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ろう通訳として/寺澤英弥
初回から2日連続しての開催となった第2回目研修。ハードな一日が終わった夜に、果たして宿題に取り組む体力と時間は残っていたのだろうか、などという心配はよそに、受講生全員が元気に出席。東京2020オリンピック・パラリンピック開閉会式の通訳等でも知られる寺澤英弥氏をゲスト講師に迎え、すべて手話での講義となります。受講生同士の対話や話し合いも手話で行うのです。
さて、昨日出された宿題は、都立の美術館の企画展の出品作家のインタビュー動画(4分程度)を見て、この作家がどういう思いで作品を制作したかの語りの通訳の予習をしておく、というものでした。その上で、午前は、この動画を各自手話通訳をするのです。さっそく、2名でペアを組み、前半部分の通訳担当者が動画が映し出されたモニター脇に立ち、インタビューの音声を聞きながら手話通訳を始めます。後半部分の担当者は、向き合うように椅子に座り、後半の映像になったら交代します。その通訳する様子を撮影していきます。
全員、相当緊張しているのがわかります。画面の脇に立った途端、頭が真っ白になった、と後で話した受講生もいました。全員が手話通訳を行った後、収録した動画をモニターに映し出し、検証を行いました。インタビュー内容と手話は一致しているのか、ちゃんと伝わっているのかを、二人のろう者の講師とともに自らも客観的な視点を以て確認するのです。
受講生は、緊張してしまって怖い顔になった、体がぶれている、どう表現していいかわからない言葉があった等々、反省点や疑問点を手話で伝え、それについて講師が具体的に回答、批評を行います。さらに、「この時、その表現をしたのはなぜか」「事前準備はどこまで何をしたのか」「ここで指差しをする必要があったのか」等、一人ひとりに鋭い指摘や質問を飛ばします。例えば、動画にうっすらと流れる音楽についての手話表現です。聞こえる音は、民族楽器のポロンポロンと響くあまり印象に残らないで流れていく音楽でしたが、その音を表現した手話について講師から、「自分は太鼓の大きな音のような印象を受けたが、そういう音だったのか」、「なぜ、その手話表現をしたのか」という質問です。
講師の手話の意味が読み取れない(ずれて伝わっている)、自分の手話の意味が講師に伝わらない、ということも起こります。しかしここは、わからないことをわかったことにする、曖昧なままで終わらせない研修の場です。ちゃんと互いに伝わるまで確認する、強い意志をもって学ぶという意味でも実践的な訓練となった2時間でした。
午後は寺澤氏による講義。通訳者として、何が重要で何をするべきかを、ご自身の経験に即して具体例を挙げていきました。ろう通訳も聴通訳も事前準備については共通です。資料の確認の重要性から打合せの流れなど通訳者として大切なことを学びます。絵画の手話動画の作成時の翻訳の例は、表出までの過程を具体的に示されました。「文字では、~~のように表現されているが、手話に翻訳するときには、ここの表現を悩んだ」、「この部分は史実を調べて背景を理解してからこの手話で表現した」などです。
分からない単語だけを調べても、メッセージの意味、文のつながりや結論を理解していないと翻訳はできない。経験があってもわかった気になって誤った判断で別の意味に翻訳してしまいかねないこともある。きちんと意味が伝わったかどうかを確認するフィードバックを行おう。誤ったことを伝えてはいけないという通訳の基本の重要性を再確認する寺澤氏の発する一つ一つの言葉が深く胸に刻まれます。今後、芸術文化分野で活躍する受講生にとって、手話通訳の奥深さについて考え直す一日となったに違いありません。
第3回:令和7年7月13日(日曜日)
午前
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手話通訳技能(事前準備ワークショップ)/飯泉菜穂子(手話通訳士、手話通訳技能研修講師)
午後
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長文読取り検証/飯泉菜穂子(手話通訳士、手話通訳技能研修講師)
受講生によると通訳の現場で事前準備の大切さを感じていながらも、これまで具体的に学ぶ機会がなかったいう意見がほとんどです。第3回の前半は、事前準備はどうするのが適切か、通訳の成否をも握る事前準備について深く学びます。 冒頭、飯泉菜穂子氏から、昨年も同様の講座を行ったが、資料のタイトルを「読む」から「読み込む」に変えた、と話がありました。資料は「読む」では足りない、いかにしてどのくらい「読み込む」か、「読み込む」とはどういうことかを考える講義となりそうです。飯泉氏を見つめる受講生の表情が一気に引き締まります。
今回の事前準備の設定は、「手話通訳者の日本語力」をテーマに行われる講演(講師は飯泉氏)の手話通訳の依頼を受けたというもの。受講生は前もって事前資料が配布され、(1)講師との打ち合わせの前に通訳パートナーと確認すべき項目、(2)講師との打ち合わせの際に講師に確認すべき項目を準備してくるように、と課題が出されていました。
依頼を受けたら、その講義・講演は、いつ、どこで、誰が、誰に対して、何を、なぜ、どのように行われるのか(5W1H)を確認し把握する。そして資料を受け取ったら、1回目は全体の流れをチェックするために「読み」、2回目は全体を通じての講師の主張は何なのかを理解できるまで「読み込む」。その上で分からない点を、限られた打ち合わせの時間に的確に質問する、という事前準備のステップを受講生がシミュレーションできる機会です。
また、手話通訳は、一人ではなくチームを組んで行う場面が多くあります。適切に手話通訳業務を実施するためにはチームワークが重要であり、講師との打ち合わせに向けて、何をどう質問するか、整理、共有しておく必要があります。
グループに分かれて確認のあと、講師役の飯泉氏との模擬の事前打ち合わせです。時間は15分間。その様子を別のグループが観察し、その後、チェックリストをもとに検証を行いました。
飯泉氏からの振り返りでは、受講者が資料をよく読み込んできていたことは評価しながらも、今日の「日本語力」をテーマとする講演で講師が伝えようとしたことは、「手話と日本語の違いを理解すること、違いを理解するには話者の母語・日本語を意識的に強化」という点でしたが、打ち合わせでこの講師の意図の確認がされなかった点の指摘がありました。
寺澤氏も伝えていた、通訳には、「文意・文脈を理解する必要がある」「そのために事前準備をする」ということを実体験を以て理解できたのではないでしょうか。
事前準備の方法を学び、疑似で体験し、そしてその検証・評価の機会を得たことは受講生にとって非常に大きな学びとなったことと期待します。
午後は長文読取りです。事前に2時間の動画を受講生に送り、みなさん家で事前準備してきたうえでの講座です。
通訳する部分は8分であること、「事前準備の重要性」を手話で語られる部分を切り出すことがこの場で伝えられます。午前中に理解したことをいかすことができる通訳です。動画が映し出されたモニターを見ながら、ひとりずつマイクに向かって通訳していきます。そのひとつひとつの録音を皆で聞きながら、まずは自己検証、そのあとはみなで検証していきます。検証も重要な技能の一つですので、通訳だけではなく、検証の練習にもなります。
飯泉講師からは、本人が内容を理解できていない時に、ついつい、「ちょっと」や「・・と思います」を付けてしまうがそれは講師の話とは異なってしまうこと、理解し自分では言っているつもりでも言葉になってないことはよくあるなど、他者と一緒に検証しないと気付かないことがたくさんありました。
飯泉講師から、「この手話の翻訳には、どの日本語(語彙)がふさわしいですか?」という質問がありました。どの日本語を選ぶかは、手話話者がどういう意図でこの手話を選んでいるのか、全体的にどのようなトーンで話しているのかを理解する必要があります。また、手で表現される手話だけではなく、話者のマウジング、発表資料への指差しなど目に入るさまざまな情報も通訳に盛り込み話者が全体を通して何を伝えようとしているのかを理解して通訳する必要があることなど、基本でありながらも実際の通訳にいかすにはなかなか難しいことを体感しました。この日は事前準備を集中的に学ぶ一日となり、受講生からは、これまで資料の読み方や扱い方が全くできていなかったことに気づいた、曖昧だった事前準備の方法が具体的になった等の意見が寄せられました。今後の通訳の現場で大いに活かされることが期待されます。


